2009年 富士山(チャリ)
8月19日 | 詳細はここをクリック |
8月20日 (81.8q) |
松本―諏訪―茅野―(道の駅) |
8月21日 (137.4q) |
韮崎―身延―富士市―田子の浦―富士宮市―(沼久保駅) |
8月22日 (46q) |
富士宮―富士山宮口5合目―(6合目の山小屋) |
8月23日 (114.7q) |
宮口6合目―山頂―宮口5合目―御殿場―厚木―八王子―(ネットカフェ) |
8月24日 (9.9q) |
八王子付近 |
※()は野宿したところ。
日本最高峰を誇る富士山。北アルプスのメイン合宿ではその雄々しい姿の一部を見ることができた。 合宿後その偉大な富士山へ敬意を払うとともに挑戦してみたいと思う。
▲写真は針ノ木岳から。ゴミみたいな影が富士さん。
8月20日
昼の11時、松本駅で降りる。今回のチャリ旅は長野県松本市にてスタート。とはいってもチャリはまだ手元にない。
山の合宿に行く前にあらかじめ送っておいたチャリ屋にチャリンコを取りに行かなければならない。近場で昼飯を食べたのち、
駅から5qほど離れたチャリ屋まで歩いて取りに行く。日差しが強い昼だった。
チャリ屋着。久しぶりにチャリを見てテンションが上がる。これより富士山山頂を目指す。ヘルメットとサングラス(価格2万円&お気に入り)を装着。
荷物をまとめてチャリのセッティングを済ます。松本駅に戻り地図を調達し諏訪方面に出発。
右手に諏訪湖が見えた。長野県の数少ない観光名所。その諏訪湖は興味なかったので華麗にスルーしてしまった。
今日は走りたかったので日が沈んでも走り続ける。暗い山のボコボコ道が続いていた。チェーンが外れやすくなっていたため走っている
最中に何度も外れてしまうがテンションだけは高かった。
道の駅着。休憩室で会った登山家の人としばらく会話。ただこの道の駅は野宿に不適であった。この道の駅を出て次の道の駅を目指す。
次の道の駅は野宿に最適だったのでぐっすり眠ることができた。
8月21日
▲山梨県のカエル
今日の天候は曇り。何も考えずに無心でペダルをこぐ。甲府市内に寄ろうと思ったがそんな気分でもなくそのまま静岡に向かう。
基本下り坂なのでとても進みやすい。
富士川沿いの道を走る。所々工事中で片側交通が行われていた。昼飯を食べようと思ったが食堂がどこにもない田舎だった。
非常食として持っていたスティックシュガーを食べる。スティックシュガーはとても美味しい。
病みつきになってしまいすぐに持っていたもの全部食べてしまった。非常食切れに。反省、少し我慢すべきだった。
道の駅「とみざわ」にて昼飯と昼寝を済ます。途中から小雨が降ってきたので暑苦しいカッパを着る。山梨県脱出、静岡県の富士市に入る。
富士市はそれなりに都会の町であった。今日は明日から始まる富士山登頂のためこの付近で野宿をしたかった。
道の駅や無人駅を探ってみたけれども寝られそうな場所がなくて困った。
▲田子の浦の海辺に到着。ここが海抜0m。
これより日本最高峰の富士山への登頂を開始する。
富士市内での野宿は難しそうなので少し北に向かう。暗くなってから富士宮市に移動しようとしたが道に迷ってかなり時間がかかった。
正直、富士宮周辺のネットカフェでいいと思ったけれどどこにもない。走っていると公園のような場所を発見した。野宿に最適な場所。
ここで寝袋を広げて寝ることにした。
2〜3時間ほどぐっすり寝ていたら警備員さんがやってきた。おはようございます。どうやらここは公園ではなくて社員寮だったらしい。
そうは見えなかった。丁寧に追い出されたのちに近くの無人駅に移動。すでに時間も遅くなったため終電もすぎていた。ここで二度寝する。
8月22日
服が不思議な香りを出していたので、まず富士山の前にコインランドリーで洗濯(+着替え)を済ませる。 また近くのコンビニで明日の登山用の飯を買いだめしておく。正直5合目まで何時間かかるか見当がつかなかったので多めに買って カバンに詰め込む。
富士宮より富士山登頂開始。正直宮口5合目2400mまで登りきれるか不安である。林に囲まれた180号線をのぼる。富士山をのぼっているのだが、 なぜか富士山は見えず。ジグザグ道を果てしなく登る。休憩は普段走る時よりも多めに取る。 1000mほど登ったところで食堂が一軒見つかったので昼食を取る。
180号線から152号線に向かう。152号線からはマイカー規制が行われていて自動車は入ることができなかった。 哀れな車が次々と引き返している中チャリンコの俺はこっそり通過する。これ以降の道はバスとタクシーだけなので非常に登りやすい。
▲2合目まで登り切る。疲れてきたのでここで昼寝を取る。体力回復。
標高がここまで来るとさすがに気温が下がって寒くなってきた。おまけにガスってきて霧の中を登ることになる。 しばらく登ったら富士宮口まで残り5qの看板が見えた。登りきれるかは実に不安だったがここでゴールまであと少し。テンションあがる。
バテバテの状態でラスト5qを登っていて重大な異変に気がついた。朝は確かに装着していたサングラスが無くなっている。 休憩中にサングラスを置いてきてしまった。標高数百メートル下に忘れられたお気に入りサングラス。取りに下山するかそのまま走るか葛藤する。 悩んだ末にそのまま上ることにする。明日残っているだろう、たぶん……。
▲ラスト1qである。
午後3時くらいに富士宮口標高2400mまで登り切る。俺はここで凄いことを成し遂げたんだと歓喜。 しかし周囲をよく見てみるとチャリンコがたくさん並んでいた。「え?ここはチャリンコで来るのは普通だったの?」 チャリダーにとって人気のスポットだった。成し遂げたことは大したことではなかったらしい。
▲2400mでのチャリンコの記念撮影
食堂にてカロリー補給をしたのち、登山のための荷物編成を行う。これ以降はチャリンコを持って行けないのでチャリンコは一日ここに放置。 明らかに不要なチャリ装備は食堂で預かってもらう。
いざ、登山開始。ただ登山にしては適当装備(チャリ装備の延長)だったし、サンダル履いての登山なので不安は残る。 荷物は軽くなったので登りやすかった。
今日の行程は5合目から6合目まで、コースタイムも短いので案外楽だろう。そう思ったけれど、ここまでの疲れが残っていて、 他の登山客と違い数m歩いてすぐに息が切れた。
6合目着。宿泊を予約していた山小屋に入る。荷物を預かってもらい宝永火口にピストン。山小屋に戻ってから飯を食べて就寝。
▲富士山からの夜景は良かった。
8月23日
朝5時起床。他の人はすでに起きて出発していた。山小屋にポツンと俺一人。他の登山客は山頂で御来光(ただの朝日の事)を見に行ったようだ。 俺は山小屋で御来光を見る。
この山はアルプスとは違い登山客が多い。その列に混ざって登り始めるが、スピードが合わないので走り抜きながら登る。すれ違う人が多い中、 俺は一人一人に挨拶をしていたが、人が多すぎるので挨拶で疲れた。
何合目か過ぎたところで強い風が吹くようになった。風のため寒いのでカッパを着る。徐々に風は強くなっていき立つのがつらいほどになった。 それ以上に巻き上げられた砂が目に入ってくるのも嫌だった。いとつらし。8合目くらいから高山病になる。気持ち悪い。
富士山の浅間大社着。人が多い!火口から剣ヶ峰に向かう。
▲高すぎるのか、眼下にほとんど雲しか見えない。風景は雲!
剣ヶ峰着。最高峰の標識あり。その隣には観測場が立てられていて展望はイマイチだった。この観測所の屋上こそが真の日本最高峰である。
▲日本最高峰の標識
コースタイムよりかなり早く登頂してしまった。ここで昼食の予定だったけれど、メシには早いのでそのまま下山する。 けっこうスピードを出して下ったが、サンダルのため歩きづらかった。それ以上に火山礫の砂が足の間に入って痛くて仕方なかった。
昼ごろに五合目に到着する。荷物を返却してもらいチャリで下山。昨日なくしたサングラスがどこかにないと探したが、結局見つからなかった。 サングラスは行方不明。結構ショック。
2400mからのチャリの下りは最高だった。マイカー規制のため車がほとんどなかったのもよかった。最高の気分で自由落下する。 45分間の30q間は常に下りでとても楽しかった。
御殿場着。パンクしたので修理する。その後近くで腹ごしらえをして東京方面に向かう。正直この時点でこのチャリ旅の目的は果たして これからするべきことはなかったが、とりあえずの惰性で走る。
▲下界から見た富士山。
厚木までの道も下りがメインだった。車は渋滞していて大変混雑していたが、それを横目にどんどん車を追い抜き優越感で気分が良かった。 厚木に着いた時には完全に夜になっていた。すでにこの辺は都会なので野宿はあきらめてネットカフェを探す。八王子を次の目的地にする。
暗い道を走ると周囲が良く見えなくなる。ふと料金表示の看板が見えたような気がしたけれども気にせずに走る。 どうみても高速道路のような道に違和感が覚える。反対車線を見たら緑色の看板が「出口」などと書いている。 高速道路をチャリンコで入ったかもしれない。しかも引き返せない。完全に他の道路と切り離されていてそのまま走るしかなくマズイと思った。 たまたま向こうの道路に歩道が見えたので、チャリンコを持ち上げて脱出することに成功した。
道に迷ってしまった。さすが東京迷路。カンで走ることにした。八王子付近は確実だが現在地がまったくつかめなかった。 走っている途中でネットカフェを見つけたのでそこに入る。
今日は行程も長かった。漫画読んで早く寝たかったけれど、今日は他にしなければならない事があった。 福岡の人達と旅先で文通をしたいと思っていた(参考 2008年日本縦断16日目)。タイミング的に明日手紙を出さないと難しい。送る相手は7人。 うちワンゲラーは今城氏と酒井氏。手紙を書くのに結構時間がかかった。眠くてウトウト半分失神しながら書いたので文章が死んでいたと思う。 読みづらくてごめんなさい。日付が変わったころに書き終えることができて就寝した。
8月24日
今日はとりあえずチャリンコで東京駅を目指す。途中で見つけたポストに昨日3時間かけて書いた手紙を出す。
ノリノリで府中付近を走る。ここで油断していたため事故を起こしてしまった。キャッツアイにきれいにタックル。急停車、歩道側に倒れる。
死ぬような事故ではないけれど、車道側にコケていたら悲惨だったかもしれない。肘と膝とわき腹の擦り傷ですんでよかった。
チャリンコの損害は前後のチューブの大穴と前後のリムの歪みぐらいである。
さて普通はこのぐらいの損傷は問題ないのだが、今回は装備がいいかげんだったので困った。
まず、消毒液と思って持ってきたのはカメラのレンズクリーナーだった。クリーナーは使えないので水で傷口を洗う。
さらに予備チューブ一個しかなかった。チューブも穴が大きくて取り換えるしかなかったがチューブが足りないので修理できず。
チャリンコが走れなくなって歩くハメに。去年もこんなことあったな……。
▲チャリンコを押してJR谷保駅着。
この時点で旅の目的は果たしていてこれ以上やることもなかった。この旅はここで終了することにした。感動もない終わり方だけど、これもまた良し。 輪行したのち電車で東京駅を経て実家に帰る。富士山ともさようなら。
追伸 ワンゲル内では今城氏と酒井氏に手紙を送った。9月5日青森にて酒井氏からの返信を受け取った。 そして今城氏は返信を出してはくれなかった。ありがとう!