九州大学ワンダーフォーゲル部【活動レポート】   

2011年夏合宿 南アルプス

2011/8/12〜18(山中4泊5日)
○パーティ:10人
文:野田

コース

12日 移動日(箱崎駅?上諏訪駅)
13日 移動(上諏訪駅?甲府駅?夜叉神の森)
夜叉神の森=夜叉神峠=杖立峠=苺平=南御室小屋(4h30m)
14日 南御室小屋=砂払=薬師岳=観音岳=賽ノ河原(オベリスク)=高嶺=
白鳳峠=広河原山荘(8h40m)
15日 広河原山荘=(大樺沢)=二俣=小太郎尾根出合=北岳肩の小屋(5h32m)
16日 北岳肩の小屋=北岳=北岳山荘=中白根山=間ノ岳=農鳥小屋(6h20m)
17日 農鳥小屋=西農鳥岳=農鳥岳=大門沢下降点=大門沢小屋=休憩小屋=
奈良田温泉(7h50m)
移動(身延駅?豊橋駅)
18日 移動(豊橋駅?箱崎駅)

12日

例年同様に、青春18きっぷで目的地まで向かった。車中ではトランプした り仮眠をとったり、毎年恒例の風景だったのだが今年はちょっと違った。まず 岡山駅で線路異常のため10分ほど列車が遅れ、次に近江八幡駅で乗っていた列 車に急病人が出たため、25分遅れた。そして大垣駅に着くと人身事故のために 20分ほど遅れ、今日中には目的地の甲府には到着できなくなった。仕方なく上 諏訪駅でビバーク。途中で警察に職務質問されたが、元?山岳警備隊の方で我々を理解してくださった。


◆乗り換えの空き時間を使って登山ルート確認

13日

 9時に夜叉神の森(登山口)に到着。タクシーで1時間ほどで到着するのだが、 車中は特に北岳や鳳凰三山が見れる訳でもなく、登山口もいたって質素だった。 ここが本当にアルプスに通じる道なのか?と疑問がわく。9:15登山開始。今日 は標高差1000m以上なのだが、直登も無く、豊かな森林帯を進んだ。北アルプ スでは2400mを超えると殆どハイマツ帯か礫地なのだが、土壌と降水に富んだ 南アルプスはまだまだ低地のような森林帯が続く。この日はコースタイムより 一時間以上も短縮することができた。A隊はB隊の1時間遅れで到着した。初 日だと荷物も多くペース配分が難しかったであろう。

14日

早朝からA隊のテントが米炊きに失敗した(芯の残るご飯)。誰も文句を言わず かき込むトコは、ワンゲルの鑑である。起きてしばらくは星が美しく、出発時には綺麗な朝焼けを拝めた。


◆出発前の朝焼け。みんなストレッチして準備。

1時間程度で砂払に到着すると一気に眺望が開け、朝日に映える北岳や、雲海 の上に立つ富士山を拝めた。メンバー一同とても興奮した。野田は「北岳の稜 線からの景色はもっと美しいよ」と言ったが、残念なことに、これ以降はずっ と悪天候で、最初で最後の富士山になった。6:45薬師岳山頂に到着。鳳凰三山 は南アルプス山系では珍しく花崗岩質であり、いずれの山頂も真っ白であった。


◆ぼんやり見えるのが富士山。これ一度っきりだった。


◆北岳を望む


◆極めていまひとつだったオベリスク

ここからはアップダウンを繰り返しながら鳳凰三山を踏んでいく。アップ ダウンが多いと体力を消耗しやすく、少し疲れてしまった。8:40賽の河原に到着。 ここは某PL一押しの、オベリスクと呼ばれる突出した岩峰があるのだが、誰も 興味を示さなかった’笑。地蔵岳というだけあって多くの登山者がここに地蔵を 奉納しているようだ。高嶺で昼食を摂ると、延々と急降が続き、梯子を使う箇 所もあり、足を痛めたメンバーもいた。2時に広河原山荘に到着。ここは水道 もトイレも下界同様に設置されて快適だった。この日の夕食は、カリスマM宅 によって開発された「チャーシューおじや」。干し椎茸と市販チャーシューを鶏 ガラスープで白飯にかけるという斬新な山飯は、とっても美味しかった。

15日

この日は広河原から肩ノ小屋まで標高差1500mの急な登りであった。水量が 増してしぶきを上げる大樺沢に沿いながら進む。沢からの風はとても冷たく、 歩きやすかった。2時間ほどで二俣に到着。ここからは特に登りが急で、ペース に気をつけながら登った。鬱蒼とした森林帯を抜けると、正面に雄大な北岳が 現れた。ここまで来ると、メンバーにも笑顔が見え始める。小太郎尾根出合に 出ると、ここからは北岳まで稜線上を歩くことになる。10:37肩の小屋到着。先 発の我々B隊は、早々にテントを張るとA隊を待ちつつ酒盛りを始めた(別名: A待ち酒)。ピーナッツやドライフルーツなど、みんなの嗜好品を楽しみつつ、 持ってきた焼酎や梅酒を呑んだ。なかなかA隊が到着しないので心配だったが、 捜索に行ってすれ違うこともあるため、成吉の持ってきたSPAM(ランチョンミ ート)を食べながら、山之内のオンステージを楽しんだ。1時間半遅れでA隊も 到着。ルートを誤って白根御池から登ってきたらしい。なんということだ。


◆沢に沿って登ってゆく


◆稜線に出た。天気はいま一つだが登りきって感動!


◆焼きスパムをみんなでいただく。

16日

夜中じゅう暴風に襲われテントが大きく揺れ、メンバー全員十分に睡眠がと れなかった。起床時間の時点でも暴風はやまず、ひとまず沈殿することに。こ の間ずっとトランプをしていたのだが、僕はずっと大富豪、成吉はずっと大貧 民だった。5時前には、とりあえず進める程度の風になったので、美しい日の出 を拝みつつ、テントの撤収作業に移る。


◆美しい日の出


◆北岳の山頂を目指す

6時にテント場を出発すると、みるみる内に北岳がガスで覆われていくではない か!30分ほど歩いて到着した時には、もはや眺望は皆無だった。一同少しがっ かりしているようだった。頂上では集合写真や高山植物を撮って楽しんだ。


◆北岳での集合写真。背景が真っ白過ぎて合成写真みたい

3193mの高峰でも花が咲いていることに感動。1時間ほどして出発。3時間か けて標高3189mの間ノ岳を目指す。ここからはずっと悪天候で、前方が確認し づらく読図が難しくなってきた。8:50北岳山荘に到着。賞味期限切れの訳あり ビールが250円で売っていた!(もちろん買った)。なお、北岳山荘から間ノ岳山 頂までは日本一長い稜線上を歩くのだが、ガスのせいもあって全く分からなか った。10:30に間ノ岳山頂に到着。ガスと冷たい風の中昼食を摂る。山頂で名古 屋市立大のワンゲルと遭遇し、某PLが福岡が生んだ最強の非常食”堅パン”をあ げた。その硬度に驚いてくれたようである。傷害罪だ。


◆間ノ岳でのB隊。寒くってしかたがない。

12:20農鳥小屋に到着。テン場の立地が悪く、場所取りに苦労した。そしてトイ レ・・・まさかの垂れ流し式に全員唖然としていた。もはや目を開けてトイレ できない。有料でいいから、汲み取り式にしてほしい。水場までは往復30分の 道のりだったが、肩ノ小屋と違って豊富に流れていたので助かった!設営後は 夕食まで再び酒盛りすることに。某PLは酔った勢いで1年生に心構えを朗々と 説いていた。今度ぜひ聞きたいものである。最後の夕食はハヤシライス。残念 なことに筆者は頭痛と発熱で食べなかったのだが、とってもイイにおいがしていた。

17日

今日は下山日。標高差2200mを下るので足への負担が心配だった。行動前か ら西農鳥岳はすでにガスで覆われていて、既にあきらめモードが漂う。結局鳳 凰三山以外の景色は望めなかった。


◆早朝から天に見放された

農鳥岳に向かう道はかなり風も強く、初めてカッパを着た。6:45農鳥岳に到着。 もちろんまったく眺望はなく、風を防ぐことに精いっぱいだった。なだらかな 下りを20分ほど歩くと、大門沢下降点に到着。ここにはかつて遭難死した方の 両親が、目印のために建てた鉄塔があった。どうやら息子さんは、下降点から の道が分からず亡くなったらしい。今安全に歩けるのは、人の犠牲があるため なんだなと思った。メンバー一同、鐘を鳴らして下降点を出発。


◆大門沢下降点の鐘。大切な目印だ。

ここからは地形図上では急降下なのだが、思ったほどのきつさはなく、順調に 進めた。2時間ほど下ると沢からの水音が聞こえてきた。ああ、そろそろ下界な んだなあ。9:35大門沢小屋に到着。ここで主人から、雨合羽を下山したバイト さんに届けてと言われた。いきなりそんなこと言われても困る。


◆一路下界を目指す。


◆取水口での吊り橋。こわい。

小屋からは川伝いに歩いていく。途中、運よくバイトのお兄さんとも遭遇でき た。そして発電所の取水口とともにも揺れるつり橋が現れた。危険なので一人 ずつ渡るように注意書きがしてあった。もちろん真ん中でジャンプしてみたが、 想像以上に揺れが大きく、手すりの丈も低かったので怖かった。4つのつり橋を 渡って、12:50休憩小屋に到着。これで合宿も終わりである。ここから林道を1 時間ほど下って、奈良田温泉に入って家路についた。




感想

今年は後半から悪天候で、中央アルプスや富士山をあまり拝めなかったので、 1年生にはちょっと残念でした。山の天気は気まぐれで、自分たちの努力ではど うにもならないなと、改めて実感しました。みんなトレーニングを積んでいた ため、トラブルもなく楽しい合宿でした。1年生は、来年はグループをまとめる 立場ですので、合宿で学んだことが生きるよう期待しています。