九州大学ワンダーフォーゲル部【活動レポート】   

2010年夏合宿  北アルプス北部縦走

2010/9/1〜9 山中6泊7日
○パーティ:5名(1年2名、4年3名)
文:なりよし

行程(ルート変更が多かったため、ここでは計画段階での予定を簡略的に記し、実際の行程の詳細を後に記す)
(凡例 〜:公共交通機関、=:徒歩、<>:ピストン、=の間の数字は分、()内はその日にかかった時間)

9月1日 移動日(JR箱崎駅〜JR白馬駅)
9月2日 猿倉→大雪渓→白馬岳頂上宿舎※<白馬岳→白馬岳頂上宿舎>(6h30m)(幕営地まで5h30m)
9月3日 白馬岳頂上宿舎→不帰キレット→唐松岳頂上宿舎(7h55m)
9月4日 唐松岳頂上宿舎→餓鬼山→祖母谷温泉(8h30m)
9月5日 祖母谷温泉→欅平→水平歩道→阿曽原温泉(5h40m)
9月6日 阿曽原温泉小屋→仙人池ヒュッテ→仙人峠→池ノ平小屋(8h25m)
9月7日 池ノ平小屋→仙人峠→真砂沢ロッジ→剱沢雪渓→剱沢キャンプ場※<別山→別山北峰→別山→剱沢キャンプ場>(9h15m)(幕営地まで6h45m)
9月8日 剱沢キャンプ場※<剱岳→剱沢キャンプ場>→剱御前小舎→みくりが池温泉→室堂(8h25m)

9月1日

PTの5人は箱崎駅から電車で出発した。イビさんが見送りに来て下さって、気分よく旅を始めることができた。

車内では適当に駄弁ったり、トランプをしたり、電車に張ってある広告にケチをつけたり、 子供のような情緒を持ったおっちゃんと可愛らしい悪ふざけをしてみたりと、とにかくダラダラしていた。ビニール袋を引き裂いて、 地図を首から下げるための紐を作っていた人もいた。そんなことをしていると、事故が起きた。電車が鹿とぶつかったらしい。南無。 幸いダイヤに大きな乱れは出なかったため、無事その日のうちに目的地へたどり着くことができた。電車を降りてから、 近くのコンビニへ買い出しに行き、次の日に備えて眠りに就いた。

9月2日

[行程]猿倉=60=白馬尻小屋= 《大雪渓》150=岩室跡=120=白馬岳頂上宿舎※〈= 35=白馬岳=25=白馬岳頂上宿舎〉(6h30m) (幕営地まで5h30m)

朝早く起き、1台のタクシーに5人とそのザックを詰め込んで猿倉登山口へ向かう。この日登る予定の白馬岳の姿がタクシーから見えた。 遠くから見る白馬岳は神秘的な白さを見せ、これから始まる登山にも期待が増した。


▲猿倉の登山口。ここでストレッチをして入山した(イマジョウさん撮影)


▲登り始めてすぐ。白馬岳が見える。(イマジョウさん撮影)


▲アイゼンを装着し、いよいよ日本三大雪渓の一つ、大雪渓に突入する。

大雪渓は涼しく、体力的には楽ではなかったが、それほど汗をかくこともなく快適に登れた。雪渓の上でのんびりと休憩するのは危険なため、 ノンストップで150分のコースタイムの雪渓を突破することになった。


▲サカイさんとイマジョウさん。寒そうに見えるけど、これくらいが快適だった。

6本爪のアイゼンの効果は素晴らしいものだったらしい(マルタさん談)が、4本爪のアイゼンはそれほど効き目がなく、 注意して歩かないとよく滑ってコケそうになる。そのため、自然と下ばかりを見ながら歩いていた時だった。 「え、何あれ……ラク!ラク!」と誰かが焦りながら叫んだ。思わず立ち止り前を見る。一瞬見ただけでは信じられない大きさの黒い岩が、 静かに、しかし猛スピードで転がり落ちていきていたのを確認した。もしぶつかれば、問答無用で命を奪われていただろう。 こちらが例え何をしても抗いようのない自然の脅威だった。岩が自分たちの横を通り過ぎてからも、しばらくのあいだは「ラク!」と叫び続け、 ほかの登山者に注意を促した。

また歩き出すころにはPTはケロっとして楽天的雰囲気を取り戻しはしたが、確実に緊張感が増していたし、足も早まっていた。 「雪渓の上での落石は音を立てない」「雪渓ではちょっとした風で自然に落石が起きる」という話は聞かされていたが、想像以上の恐ろしさだった。 おまけに雪渓の上に霧が薄く立ち込め、落石を知る一番の手がかりである視界が悪くなった。歩きながら落石注意の看板をいくつか見た。 「休まないで!!」という看板は印象的だった。


▲雪渓を抜ける。ここで昼食休憩をした。

昼食の作り方が特徴的だった。キャベツは切らずに素手でちぎり、ソーセージと一緒にパンの上に適当に乗っけて、マヨネーズをかけて食べる。 スプーンを使わず、ジャムのカップに直接パンを突っ込んでジャムを塗る。調理の手間は大幅カットされ、食器を洗う必要もない! 時間を短縮したいときにはかなり有効な作り方だった。良く言えばワイルドだが悪く言えば野蛮…?


▲ゴツゴツした岩肌が増えてきたが、そんな岩の上にポツンと鳥が。雷鳥?


▲その荒々しくも威厳あるフォルムから「魔王城」と名付けられた。本名は「鑓岳」。

雪渓を抜けた後しばらく歩くと、白馬岳頂上宿舎に着いた。手早くテントを立て、ピストン装備で白馬岳へ向かう。 途中に富山県と長野県の県境の標識があり、そこでマルタさんが華麗な反復横とびを見せてくれた。時間がたつにつれて霧が濃くなってきて、 山頂に着くころには一面真っ白だった。


▲とりあえず集合写真を撮る。今回唯一の集合写真。(イマジョウさん撮影)

宿舎へ帰る途中、白馬山荘の売店に寄ってみた。「何でもかんでも売ればいいってもんじゃないぞ」と言いたくなるほどの品ぞろえだった。

テントに戻り晩飯を作ったり天気図を書いたりする。天気図には台風が2つほどあったが、まだ日本のはるか遠くにあり、 進路も定まらないので、直撃しないことを祈りつつ先へ進むことに決まる。

9月2日

[行程] 白馬岳頂上宿舎=100=三角点(2589.8)=120=不帰岳避難小屋(3h40m)

予定通り唐松岳の方へ進んでいくつもりだった。しかし朝起きてみると、異常に風が強く霧も濃い。唐松岳へ行くには、 不帰キレットを通らなくてはならないが、この天候でのキレット通過は間違いなく危険だという判断が下された。 一向に良くならない天候のせいで、行動を開始できないでいるところに、コース変更の案が出てきた。 清水尾根という、マイナーだが手入れの行きとどいた道を通り、すさまじく立派との噂である不帰岳避難小屋で一泊し、 次の日にそこから祖母谷温泉小屋まで行く、という案だ。その案が満場一致で可決され、テキパキとテントを片付けて清水尾根へ向かう。


▲この日の朝の白馬岳の山頂は、きっと素晴らしい見晴らしだっただろう。


▲清水尾根。奇麗な場所でした。

昼食をとったあたりから少し雨が降り始めたが、間もなく止んだ。昨日は行動中ひたすら登りだったが、この日はひたすら下りだった。 高度がどんどん下がり、気温も暑くなる。ずっと下っていると、徐々に足に疲労が蓄積されてくる。しかしコースタイム自体は短かったため、 問題なく目的の不帰岳避難小屋に到着した。


▲不帰岳避難小屋。少なくとも、我らが箱崎部室よりは立派だ。(イマジョウさん撮影)


▲贅沢なことに貸し切り状態だった。(イマジョウさん撮影)

遅延が心配されたB隊のメンバーもどうにか到着。テン場が狭いため、急いでテントを張る。

このPTメンバーは全員がやたらと体力を持っていた。故に、この短いコースタイムでは体力的に不完全燃焼だった。 フラストレーションをどうにかするために、昼間から酒を飲む。


▲トランプをしながら酒を飲む。(イマジョウさん撮影)

サカイさんが紙パックの黒霧を持ってきていた。「そんな重いもの持ってたんですか」とビックリした。 その流れに乗ってマルタさんが得意げな顔で瓶のウォッカを取り出したが、何となく想像通りだった。

酒瓶が空になったところでトランプも終了した。晩飯を作り、天気図を書いた。夜は星がきれいだったので、 自分は少しのあいだ小屋の外で寝た。マルタさんは一晩中外にいたらしい。行き倒れと勘違いされていた。

9月3日

[行程]不帰岳避難小屋=4h=祖母谷温泉(4h)


▲厄介な倒木があり、越えるのに一苦労だった。(イマジョウさん撮影)


▲本当に昼前に目的の祖母谷温泉に着き、テントを張った。(イマジョウさん撮影)

昼飯を食べ終わった後、本日の目玉である温泉に入りに行った。ただの温泉ではない。 川の底から沸いている温泉にタダで浸かることができるのだ。この話を最初聞いたときは興奮したが……。


▲温泉が沸いている場所。お湯が、火傷しそうなほどに熱かった。

川の水とお湯を上手に混ぜる工夫をする人たちと、風呂は諦めて川で泳ぐ人たちに分かれる。


▲流れがとても急で、川遊びは意外とハードだった。

貸し切り状態だったので、急流に少し流されてみたり、急流を遡ってみたりしてはしゃぐ。


▲川を満喫した後。時間が有り余っていたのでのんびりする。(イマジョウさん撮影)

この小屋は「特製ラーメン」なるものを売っていた。他の登山客が食べているのを見たが、とても美味しそうだった。 非常に心が惹かれたが我慢して食事の準備に取り掛かった。


▲夕食後、時間が余ったので石積み大会が行われる。

この日の天気予報では、台風の進路は危険な感じだったと記憶している。次の日の朝、最新の台風情報を見て、 本当に直撃しそうであれば欅平からの下山を視野に入れることにした。

9月4日

[行程]9/5(日) 祖母谷温泉=40=欅平=《水平歩道》300=阿曽原温泉小屋 (5h40m)

サカイさんは都合により、この日の欅平で下山となる。


▲しばらく歩くと欅平が見えてくる。(イマジョウさん撮影)

欅平は本当に下界のようなところだった。携帯電話を使って台風予報を確認する。もし直撃するようであれば、 サカイさんと一緒に下山していたのだろうが、うれしいことに台風の進路は大きく大陸側にそれていた。合宿を続けることに問題はなさそうだ。 欅平の駅でサカイさんと別れ、4人で水平歩道に向かう。


▲「始点」と書いてあるが、どこから水平歩道なのかはよく分からなかった。(イマジョウさん撮影)

水平歩道とは、絶壁をコの字にくりぬいて作られた、10km以上も続く平坦な歩道のことだ。道の幅は1m前後しかなく、 もし足を踏み外すようなことがあれば数百メートル下の地面まで一気に転落する羽目になる。

欅平から水平歩道まではそれほど近くなく、長い急な登りが続いた。かなりのハイペースで登り続けたが、それでも写真の地点まで1時間ほどかかった。 クマ出没注意の看板があったが、熊鈴など装備していないPTは、仕方がないからと歌を歌いながら登った。 「さんぽ」「カントリーロード」「森のくまさん」。最後の歌にクマよけの効果があるのかは微妙だった。 水平歩道に入ってすぐはたいして怖さを感じなかった。というのも、草が生い茂っていて、あまり崖の下が見えなかったからだ。 しかし少しずつその草もなくなってきたり、ところどころ道が薄い鉄板1枚になっていたりと、なかなかエキサイティングになってくる。


▲見ての通り、足を踏み外せば一発アウトな素敵ロード(イマジョウさん撮影)


▲改めてみると凄く投げやりな道。


▲水平歩道の難所「大太鼓」。道の幅は多分80cmもなかったと思う。

この大太鼓を通るころには、高さに対する恐怖感がマヒしてきていた。長く平坦で景色もそこまで変わらない道に、 少しずつ飽きてきていたところだったので、この難所ではテンションが上がった。


▲少し離れた所から見ると、道には見えない。


▲水平歩道は砂防ダムの中に続いていた。

水平歩道はひたすら平坦な道を歩くものだと思っていたが、意外とそうではなく、砂防ダムの中に入り込んだり、トンネルがあったり、 滝があったりもした。トンネルの出口を間違えたりもしたが、特に大きな事故もなく抜けることができた。

水平歩道を抜けると、割とすぐ阿曽原温泉小屋に辿り着いた。小屋でテントを立ててゆっくりしていると、 小屋の管理人のおっちゃんがPLのイマジョウさんを呼び出した。自分たちが何か人に迷惑をかけたのではないかと心配したが、 そうではなかった。「材木運びを手伝ってくれたら、風呂にタダで入れてあげるよ」と言われたらしい。もともと温泉に入るつもりはなかったが、 タダにしてもらえるなら話は別だ、ということで、テキパキと材木を運んで温泉に入れてもらった。

夕食を食べ、この日までの疲れを癒し、明日の(予定では)8時間行動に備えるために眠った。

9月5日

[行程]阿曽原温泉小屋=70=仙人谷ダム=260=仙人温泉=130=仙人池ヒュッテ=15=仙人峠=90=分岐=90=三ノ沢=10= 真砂沢ロッジ=《剱沢雪渓》185=剱沢キャンプ場(14h10m)

悪い夢のようなコースタイムだが、いろいろあった結果こうなってしまった。現実なのである。

朝。3時起き4時半出発の予定が、30分寝坊してしまった。急いで準備をして、4時45分ごろには出発出来た。感動的な速さだ。 阿曽原温泉小屋で小屋の管理人さんに台風の最新情報を尋ねてみると、「大丈夫だよ、大丈夫」とのこと。安心して合宿を続行する。

仙人谷ダムのあたりの道が面白かった。


▲よく見ると分かるが、線路が走っている。電車が通るらしい。登山道を。


▲読みにくいが「ドアを開いて右側へ」と書いてある。登山道です。

といった風に、なかなか面白い登山道を抜けて、山の中へと突入する。この日はSLのツツミが絶好調で、いつにもまして快速だった。 急登にもかかわらずぶっちぎりの勢いだった。あまりの速さについていけなかったイマジョウさんの荷物をマルタさんとツツミが持ってあげることになる。 そして荷物が増えたにもかかわらず、ツツミのペースは落ちず、逆に加速しているようにさえ感じられた。 自分もついて行くことのできる限界のペースだった。彼の体力はとどまるところを知らない。


▲尾根道を歩く。この明らかに左に偏ったパッキングはマルタさん。(イマジョウさん撮影)

確か、丁度僕が梯子か何かを登り切ったときだったと思う。前方左の斜面で何か黒い獣がガサガサと音を立てていた。 その獣の動きは下界で見るようなのっそりした動物の動きではなく、野生の獣の荒々しい暴力的な動きだった。 その獣の正体が何なのか確認する余裕もなかった。とにかく目の前に危険な生物がいて、かなり危険な状態に置かれたことに気づき、戦慄する。 だが、目の前で荒々しい動きを見せていた獣は、そのまま足を滑らせて滑落していった。本当に一瞬の出来事だった。

丁度その獣が滑落して行った時に、マルタさんが追いついてきた。追いついてすぐ、こんなことを叫んだ。
「ラク!ラク!!」
そこでツツミが冷静に突っ込む。
「いや、クマです、クマ」
そう言われて、「クマでもラクって言うのかなあ」とか呑気なことを言いだすあたり、マルタさんは流石だと思う。緊張感が一気に失せた。

このクマを目撃したのは、隊列の前半分にいたツツミと僕だけだった。クマの滑落する音を聞いて落石と勘違いするのも、 姿を見てないなら仕方なかっただろう。 しかし、クマの住むような標高の低いところを通るのに、誰も熊鈴を持っていなかったのは失敗だった。 怪我人が出なかったから良かったものの、用心が不足していた。

とりあえずクマの危険も去ったので行動を再開する。「昨日森のくまさんを歌ったのがいけなかったんだ」とか、 適当なことを口走りながら、ハイペースで進んでいく。

長く続いた急登を抜けると、仙人池ヒュッテに着く。仙人池ヒュッテには、絶景ポイントとして有名な仙人池がある。 かなり疲れが溜まっていたので、ここで20分の大休憩をとる。


▲絶景ポイント「仙人池」。水鏡に剱岳が映る。

景色を見た後は、その辺にあったベンチでダラダラとしていた。すると、小屋の管理人のおばあちゃんが、小屋の窓から顔を出して声をかけてきた。 「あんたたち学生さん?学生さんはもう何年ぶりかなあ」とか「ここを通る人は珍しいから、通った人のことはよく覚えている」とか、 そんな話を聞かされた。学生が通ったことにえらく感激したのか、美味しいクッキーを御馳走してくれた。

本当はこの日は池ノ平小屋まで行く予定だったが、このペースなら真砂沢ロッジまで進めそうだ、ということになり、 コースタイムを3時間弱ほど伸ばして真砂沢ロッジまで進むことに決める。


▲仙人峠を下る。剱岳が近くに見えていた。

仙人池ヒュッテを出発し、仙人峠を凄い速さで下っていく。いよいよ近くに見え始めた剱岳を前に、期待が高まる。 真砂沢ロッジまでは大した登りもなく、楽々と辿り着くことができた。

真砂沢ロッジに着く。「阿曽原から来ました」というと、かなり驚かれた。宿泊の手続きを済ませようとしたところ、小屋のおっちゃんに、 剱沢雪渓を登ってしまうことを勧められた。「台風が来るから早く登ったほうがいいよ、台風が来たら3日は雪渓登れなくなる」とのことだった。 今朝は「大丈夫」と言われたのだが、細かいことを気にしても仕方ない。最悪の事態を想定して従っておくことにする。

もう時間も遅く、自分たち以外に人が一人もいない雪渓を登っていく。真砂沢ロッジの時点でコースタイム11時間分の距離を歩いていたし、 「やっと休める」といったくらいの気分だったのだ。真砂沢ロッジの管理人さんに、剱沢雪渓を越えるのを勧められた時点で、もう笑うしかなかった。 おかしなテンションで雪渓をつき進んだ。


▲剱沢雪渓。正直な話、この雪渓自体はそんなに記憶に残っていない。

日本三大雪渓の一つ、剱沢雪渓を特にありがたみも感じずに登っていく。途中、これまで好調だったSLのツツミがいきなり唸ったり叫んだりし始めた。 何かしらの精神異常が起きたのかと不安になったが、どうやらそうではないらしい。「腹減った」とか「シャリバテ」とかいう単語が時折聞き取れた。

雪渓を抜けて少しすると4時になった。気象予報の時間だ。真砂沢ロッジの管理人さんの話を聞いて、 「明日にも台風が直撃するのではないか」と言う不安が沸いていたので、天気予報をじっくり聞きたいが、これ以上のんびりもしていられない。 仕方がないので、気象係のマルタさんが歩きながら天気予報を聞いた。台風は直撃しない、という予報に皆が喜んだ。

剱沢キャンプ場に着き、やっと今日の行動は終了した。結果的に二日分の距離を移動してしまった。 もはや4人というよりも4匹と言った方が正しいくらい、食べることしか頭になかった。一秒でも早く食事にありつきたかったので、 テントを張りながら晩飯を作った。

「そういえば、2日分行動したんだから、食料は1日分余りが出ますよね」と誰かが言った。食欲の僕と化した人々に押され、 気が付いたら僕は7合もの米を大コッヘルで炊いていた。

流石に7合の米を1つのコッヘルで炊くのは難しかった。水が少し足りなくて、やや硬い炊きあがりになったが、食べるのに問題は無かった。


▲この山での最後の晩餐、シチューとご飯。

結局ほんとうに7合をペロリと平らげてしまった。僕とイマジョウさんは1.5合、ツツミとマルタさんが2合ずつくらい食べた。 食べた後、マルタさんがその四次元ポケット並みの収容力を誇る120リッターのザックから、ジンを取り出した。 マルタさんのザックに入っていた酒瓶は、1本ではなかったようだ。流石に驚いた。

食べ終わった後、疲れを癒すために寝ようとしたのだが、結局この日はほとんど眠れなかった。風があまりにも強くて、 テントのフライが夜通しバサバサと大きな音をたてていた。朝から晩まで本当に長い1日だった。 この日ほど、1日が24時間だと言うことを疑ったことはない。

ちなみに、この日のコースタイムは14h10mだが、実際の行動時間は休憩を含めて12hほどで、休憩を含まない純粋な行動時間は9hほどだった。 PTの全員にとって、過去一番ハードな山の一日だった。

9月6日

[行程]剱沢キャンプ場〈=20=剣山荘=30=一服剱=40=前剱=30=一服剱=20=剣山荘=25=剱沢キャンプ場〉=60=剱御前小舎=100=地獄谷=10= みくりが池温泉=20=室堂 (5h55m)

この日の朝はかなり早く起きた。2時起き4時出発くらいだったと記憶している。剱岳が混雑するのを避けるためだ。 しかし、この強風の中で剱岳に登れるのか、かなり不安だった。

とりあえず行けるところまで行ってみよう、という結論に達し、ヘッドランプを装着してまだ暗い道を歩いて行く。


▲一服剱のあたりで奇麗な朝焼けを見ることができた。

剱岳までの道のりは、基本的に岩場が続いていた。風の強い中、なんとか前剱までたどり着くことができた。 しかし、前剱に辿り着くころには、風だけでなくかなり濃い霧が出てきていた。とりあえずこの状態で剱岳へ向かうのは危険だが、 剱岳には絶対に登りたい。そんな葛藤があり、わずかな希望にすがるように、前剱の山頂で天候の回復をしばらくのあいだ祈った。

結果的に言うと、やはり天候は回復せず、悔しくも下山することとなった。前剱山頂までしか登ることができなかった。

その後はさっさとテントを撤収し、ものすごい速さで室堂へと抜け、下山した。

室堂でみくりが池温泉に入り、身を清める。その後、温泉にあったレストランで昼食をとった。 「日本一高いところにある温泉」なのだが、なぜかレストランでは「深海魚の天丼」がプッシュされていた。

あまりにも早く着いてしまったため、室堂駅で余った時間をつぶすことにした。


▲スペシャルゲスト(?)のノダさん。 偶然にも近くのホテルに泊まっていたらしいので来ていただいた。

ノダさんと適当に旅の土産話を交換していると、いよいよ本当に下界へと帰る時間になった。 バスで美女平まで行き、ケーブルカーで立山駅まで行き、そこでしばらく時間を潰した。そこでもやることがなくなると、 いよいよ富山市の市街地へと降り立った。市街地に出てからは、何やら凄いと噂のラーメン「富山ブラック」を食べ、 市街地でネットカフェを探した。しかしネットカフェは見つからず、結局富山駅で野宿することに。

9月7日

我らが福岡に帰る日。富山駅発の始発鈍行に乗って、18切符の力でぐんぐん西へ向かう。途中、京都の辺りで人身事故があり、 ダイヤに大きな乱れが出たが、新幹線を使うことでなんとかその日のうちに福岡へ帰りつくことができた。箱崎駅で解散し、各自家路へ向かった。


感想

長いレポートとなりましたが、読んでいただきありがとうございました。

今回の合宿のレポートを書いて改めて思ったことなのですが、怪我人が出なかったのは凄いですね。非常に無謀な登山でした。 ただ不思議なことに、体力的には非常にハードな合宿でしたが、何度も危険な目に遭いつつも精神的にはまったく辛さを感じませんでした。 まともに踏んだ山頂は、初日の白馬岳一つ。しかも猛烈にガスってた。あとはただひたすら歩き続けるだけの日々を過ごした。 それなのに、まったくキツくないんです。

今回の合宿で特筆すべきことと言えば(体力と精神力は省くとして)、行動の速さです。テントの設営も撤収、食事の準備や片付け等、 誰の指示もなかったにも関わらず、まったく無駄がありませんでした。もしかしたら、褒めるべき点はそれくらいなのかも知れません。 あとはまあ、キツいし汗臭くて暑いし危険だし無謀、つまり散々だったのに、山頂にもまったく行かないで、 よくよく考えるとほとんど何しに来たのか分かりません。オマケに剱岳を目前にして下山(いつかリベンジしたい所存です)という、 後味の悪い最後でした。それなのに、自分も含めPTの誰もが「最高の合宿だった」と言います。自信もって胸張って「山行ってきた」と言います。 長々とレポートを書きましたが、少しでも今回の合宿の楽しさが伝わっていれば幸いです。