九州大学ワンダーフォーゲル部【活動レポート】   

2008年 日本縦断自転車の旅

2008/8/7〜9/18 ○パーティ:うえしば
文:うえしば

日本本土最南端佐多岬から本土最北端宗谷岬まで、自転車で旅をした活動報告である。 総走行距離4637キロ、総走行時間259時間51分の長旅であった。暇なときにでも読んでみよう。

もくじ

九州・中国地方編(鹿児島・熊本・福岡・山口・島根・鳥取)
1日目佐多岬着、日本縦断開始。
2日目霧島高原いとつらし。
3日目去年秋合宿で通った道を逆に進軍。
4日目福岡に帰宅。誤って財布を洗濯。
5日目関門トンネル自転車で走って怒られる。
6日目携帯の迷惑メール一夜で着信300通。あわててAUショップにGO!
7日目どんなに進んでも風景変わらぬ島根県。
8日目出雲大社にて旅の無事を祈る。
9日目ケツに痛みが走る。以後ケツ痛地獄の始まりである。
関西〜東京都心編(兵庫・京都・福井・滋賀・岐阜・愛知・静岡・山梨・東京)
10・11日目深夜行軍決行!滋賀まで一気に進む
12日目名古屋市街地にて野宿できそうな場所がなかなか見つからず泣きそうになる。
13日目連続パンクにて予備チューブ切れに。歩きで進む。
14日目片側四車線の大きな道路を爽快に走る。
15日目天候悪しのため富士山見えず。
16日目甲府市街にて大雨。以後、連続で雨が続く。
17日目東京都心をチャリで観光。しかし雨。
東京〜青森編(東京・埼玉・栃木・福島・宮城・岩手・秋田・青森)
18日目東京脱出する。春日部〜鷲宮神社あたりを観光。
19日目宇都宮ってロードレーサーの聖地らしい。知らなかった。
20日目久しぶりに雨降らず。夜は草むらにて虫と仲良く野宿。
21日目夜中にとてつもない大雨で目が覚める。
22日目日没後の峠越え、なんだか楽しい。
23日目9日ぶりの風呂、入浴後大雨の天然シャワー。
24日目八郎潟、30分走っても風景変わらず発狂する。
25日目前ギア故障。重いまま走る。
北海道前編(函館・長万部・室蘭・苫小牧・襟裳・帯広・釧路・根室)
26日目館にてチャリの修理、気分一新。
27日目午前中に大雨、ウンザリする。
28日目旅館の手前にて野宿。
29日目サラブレット街道。お馬さんがいっぱい。
30日目襟裳岬付近にて風害。
31日目帯広にてのんびり。あまり走らず。
32日目霧が濃いためあたり一面真っ白な状態で走る。
33日目納沙布岬着。日本本土最東端から国後島を望む。
北海道後編(中標津・網走・北見・稚内・留萌・札幌・苫小牧)
34日目野外で野宿したら、濃霧のため寝袋ビショビショ。
35日目十勝沖で地震があったらしい。何もない平原で走っていたオレには関係なし。
36日目網走の夜は寒かった。
37日目北見こえてから、見所がない。走るだけ。
38日目この旅の2度目の満月。中秋の名月。
39日目宗谷岬着。日本縦断の旅ここにて成し遂げる。
40日目萌える、天北オロロンルート。
41日目札幌にてラーメン3杯食べて吐きそうになる。
42日目苫小牧にて北海道一周完了。夏の旅の終わりである。

九州・中国地方編(鹿児島・熊本・福岡・山口・島根・鳥取)

1日目 122km (68号線の公園)―佐多岬―根占―垂水―国分―(表木山駅)
2日目 116km ―横川―菱刈―出水―水俣―田浦―(道の駅 たのうら)
3日目 120km ―八代―宇土―熊本市―山鹿―(道の駅 鹿北)
4日目 76km ―小栗峠―八女―久留米―太宰府―福岡市
5日目 121km ―宗像―北九州―下関―(厚保駅)
6日目 128km ―秋吉台―萩―須佐―益田―(石見津田駅)
7日目 128km ―浜田―江津―温泉津―大田―出雲―(道の駅 大社ご縁広場)
8日目 124km ―出雲―松江―米子―(道の駅 ポート赤碕)
9日目 102km ―倉吉―鳥取市―岩美―(浜坂駅)

1日目

出発は佐多岬手前の大隈路。前日のうちに電車とフェリーを使ってここまで移動。朝6時に出発。朝7時くらいに日本縦断の出発地点佐多岬(手前)に着く。まだ公園は開いてなかったので入らなかった。以前来たときもそうだが、路上に猿がたむろしているため、いつもビビりながらここまで来ている。


↑日本縦断出発はここ。実にしょぼいスタート地点だ。自転車の荷物は少ないように見えるけど、実際は背負ったバッグにいっぱい詰めこんでいる。


↑宗谷岬まで遠そうだな。(参考 39日目・宗谷岬まで残り〜qの標識の写真)

午前中に通り雨が何回も降った。1回目は木陰、2回目はバス停、3回目はコンビニ、4回目はファミレス(メシ食べてる時に)、5回目は店先にそれぞれ避難。さすがにこれ程雨が降ると鬱陶しい。
海辺で薩摩半島反対側の大隈半島に見える開聞岳を見ながら休憩。近くにいたオバちゃんに缶ジュースを3本いただく
道の駅「たるみず」着。自分はソフトクリーム好きなのでご当地ソフトクリームなどがあれば遠慮なくいただく。ここでゆずソフトクリームを食す。疲れてきたのでここで2時間ほど昼寝。


↑桜島の夕日はきれいだった。左が桜島。

国分に着くころにはすっかり暗くなっていた。スーパーにて半額商品を買いあさって晩飯とする。この辺はそれなりの町なので野宿をしたくない。暗い中さらに北上する。自分のライトしか灯りがないような真っ暗ら闇の中、無人駅「表木山」駅に着。カエルがゲロゲーロと鳴いていると思ったら6度目の通り雨。駅舎はクモの巣だらけなので、ひさしのあるホームにて就寝。

2日目

起きてからしばらく走るも、ひと気なし飯屋なし。腹も減ったので朝飯は持ち歩いてるカロリーメイトをいただく。今日の行動は上下運動メインなのでしんどい。特に菱刈から出水まで48号線を通ったが、1時間に車が一台通るような田舎道、1.5車線、民家も無し。完全に山道、野生のシカを見たのはこの時が初めてだった。夏の日差しの暑さのため水がすぐになくなったので昨日もらった缶ジュースをこの時すべて飲む。峠は昼前に越えることができたことに一安心する。


↑眠たくなったため、途中水俣のこの公園で昼寝。寝てる時に通り雨が降り外に止めてあった自転車がびしょびしょになる。

3号線沿いに走っていくと1500mの佐敷トンネルがあった。去年の秋合宿ではこのトンネルは敬遠したが今回は走ってみることにした。歩道もなく狭く、そして車が多い。このトンネルは確かに怖い。もう走りたくはないというのが感想だ。
道の駅「たのうら」にて行動終了。畳付きの待合室解放なのでかなり快適であった。そこにいたオジサンとしばらくお酒を飲んでのち就寝。このオジサンの話は大変良かった。

3日目

道の駅の障害者トイレに入って着替えをすます。近くの店やにてオニギリを食べて出発。昼はとても暑く、12時から15時あたりまで走りたくないので、その時間は日陰で昼寝をするのに使われる。だから一日の行動時間は自然と午前中心になる。今日も朝のうちに走る。平地の田圃道はすいすい爽快に走ることができた。道の駅「竜北」にて畳ソフトクリームを食べて少し休憩し昼ごろに熊本市街地着。
去年の秋合宿に通ったサイクリングロードを逆に進む。2回通って思ったけど、見どころが何もない。まぁ、車に邪魔されないので走りやすい。途中の木陰で昼寝。少し眩しい木漏れ日と、近くで遊んでいた子供の声が心地よかった。2時間ぐらいして再出発。
山鹿のスーパーにて飯を食う。暗くなってから小栗峠を登り、途中の道の駅「鹿北」にて活動終了。この道の駅も畳付き待合室24時間開放でとても寝心地が良かった。奈良県からやってきて鹿児島から沖縄に向かうチャリダーとしばらく会話したのち共に寝る。普段、野宿した場所は写真を撮るようにしているのだが、この日は写真を撮り忘れてしまった。

4日目

今日の行動予定は小栗峠から福岡の自宅まで。自分の家に帰れるとあって朝からテンションは高かった。さっさと帰りたかったのである。帰りの途中、遠くに見えた積乱雲が俺に夏だということを実感させてくれた。
大宰府に立ち寄る。重要な装備品を買い忘れていたためである。旅の成功の秘訣である「お守り」を購入する。そして、この旅の無事を神様に祈る。
もうすぐ正午、どんどん暑くなってくる。本来は走りたくないのだが、家までもう少し、12時の炎天下の中でも走り続ける。今日の走行時間はいつもの半分、3時間37分ナリ。帰宅後、旅人モードから一般人モードに切り替えて、家でダンゴ虫になる。ちなみに洗濯したズボンに財布が入れっぱなし。朝まで乾かず、明日はポケットマネーで行動することに……。

5日目

朝起きてから、フロ入って飯を食べて出発。今城氏がかねてから欲しがっていた青春18禁切符をプレゼントしに彼の家に寄り道。また、大学で学割の証明書を発行してもらう(船代が安くなる)。昨日のうちにやっておけよと、自分につっこむ。用事を済ませ、旅人モードに切り替えてからハイテンションで走りだす。護国神社前でヘルメットを家に忘れたことに気がついていったん帰宅、そして再出発。いつもの行動開始より3時間ほど遅し。ここから福岡から北九州までの3号線は普段よく走っているのではっきり言って通り飽きている。つまらない。ボーッとして走る。あいかわらず日差しがチリチリ暑い。


↑関門海峡。自転車は橋を渡ることができないので地下道を通る。

関門海峡を自転車で走って通ろうとしたら、放送があり降りろと注意される。後ろのほうに監視カメラがあったのに気がつかなかった。自転車を降りて歩いて渡る、残念。
下関のファミレスにて晩飯を食べる。ドリンクバーでジュースを6杯も7杯も飲んだら、あとで腹が痛くなる。店を出てからしばらくして、トイレを探しながら走ることになった。キバりながら走り、途中のトイレでスッキリさせる。日は沈んだが走る気満々なので走り続けて厚保駅にて行動終了。なかなか快適に野宿できる駅だった。寝る前に濡れたまま持ってきた財布を乾かすこと忘れていなかった。

6日目

携帯電話は電源がもったいないので普段は切っている。そして1日に2、3回ほど確認することにしている。旅をしている俺に対してメール2通あれば多いほうなのだが、今日の着信数は異常に多かった。一晩で300通も着信していた。99%いかがわしいメール。これは本気で困った。
迷惑メールのことは保留しといて自転車にまたがり走り出す。今日のメインは秋吉台。日差しが強くなる前に登り切りたかったので早めに行動する。朝9時、秋吉台登頂。しかし、とてつもなく暑い!熱い!厚い!早々にヘバッてしまいそうだった。時々太陽が雲の影に隠れる瞬間が至福の時だった。


↑秋吉台。下の写真にオレのチャリ。

昼に萩着。スーパーで昼飯。そしてスーパーの入り口にあるベンチで昼寝。日陰だったが徐々に日が傾いてきて暑くなり目が覚めたので出発。AUショップにて迷惑メールをどうにかしてもらおうと駆け込んだが、どうにもならないそうだ。とりあえずアクセス制限をしてのち、全部受信する。
海沿いの道を走る。トイレに行きたくなったので近くにあった無人駅に駆け込こむ。しかし、トイレが廃止されていた。この辺の路線はトイレが設置されていないみたいである。あてが外れた。実際トイレがないことは男のオレには大きな問題ではないので、その辺りで用をたす。
日が沈んで辺りが暗くなってきた。雲に隠れて滲んでいる満月がまたキレイである。こういう満月も風情があった好きだ。(月の満ち欠けネタは11・28・38・39日目にもアリ)。写真に撮ろうと思ったがおれのデジカメの性能ではうまくとれない。しかたないので心のフィルムに焼き付けておこう。この日は石見津田駅にて行動終了。
終電も過ぎた夜更け。夏の夜は暑いので寝袋を使わずにそのまま寝ていたら……誰か来た!しかも、俺に気が付いていないみたい。外の明かりでちょうどおれの寝てるベンチは逆光で見えないようだ。3人くらい、若い人みたいだけど……。オレの足元から10pくらい離れた所に座って会話。うるさくなかったからそのまま寝ていたけど、そこまで近くにいてまだ気が付いていないみたい。わざと物音をたててみたら彼らはとても驚いて、そのまま退散。俺は何事もなかったかのように再び寝る。

7日目

今日の行程は9号線を走るだけ。いくら走っても同じような道が続く。上下運動があって、平らな海岸線があって、小さな町がある、の繰り返しである。見どころはなにも無し。
昼ごろに暑くなってきたので近くの小屋みたいなバス停のひさしのもとに避難したが、よけい暑かったので、近くの駅に避難した。駅で2時間ほど昼寝。寝ている間に通り雨1回、ヘルメットがびしょびしょになる。走れる気温になったら、進みだす。風がとても心地よかった。
日が沈んできた。道の駅「きらら多佐」にて行動終了……の予定だったが、この道の駅は人や車が多すぎる。近くの海岸線では花火がピョパ〜〜と飛んでいた。とてもじゃないが野宿できるようなところじゃなかった。休憩室も冷房が利いてなかったので暑かった。この先あてはなかったが野宿できるところを探すため真っ暗な中自転車に乗る。
眠い目をこすりながら走る。屋根つきの寝むれそうなところはあるにはあるが、何かしら人が来るのでなかなか寝るところが見つからない。途中、持っていた水が底を尽きたので自販機の水を購入し走る。闇の中走っているので本来の道から外れ北に進む。その外れた先に道の駅「大社ご縁広場」があったのでそこで行動終了。夜23時30分、いつもよりずいぶん遅い就寝時間だった。

8日目

出雲大社手前、朝6時に起きる。ついでなので大社に立ち寄った。こんな早朝だから人も少ないだろうと思っていたら、300人くらいの行列ができていて驚いた。国宝の本殿が公開されるのでそれで人が集まっているらしい。それに興味のない俺は旅の無事を祈ってこの場を去る。
出雲から松江に向かう。宍道湖を横目に気持ちよく走る。湖からの風が心地いい。


↑宍道湖、あの島何だろう?

松江にて昼間は暑かったのでファミレスに入ってドリンクバーを注文。6杯も7杯も飲んで5日目と同様、腹痛に悩まされる。しばらくすると雲が出てきて、暑すぎるということはなくなった。しかし小雨に悩まされることになる。
米子着。眠たくなってきた。近くにジャスコを発見したので、ジャスコのベンチで1時間ほど昼寝をする。人で混みあっていた。迷惑?そんなことは気にしない。


↑大山が右手に見えたあたりで夕立。バス停にて避難。雨がどんどん吹き込んできて逃げ場がなくなりそうだった。

夕立が過ぎても相変わらず空は晴れず雨が降り出しそうな天気である。大山には常に雲がかかっていたので、最後までその全景を見ることはできなかった。
道の駅「ポート赤碕」で寝ることにする。待合室は解放されていたが蒸し暑かったので外で寝た。


↑ベンチが思ったより狭くて体が痛かった。地面に寝袋を敷かないのは精神的な都合による。夜に雨が降っていて、少しだけ水しぶきが降ってきた。

9日目

9号線を走る。風車が勢い良く回っている。しばらく海風をもろに浴びて走るためあまりスピードが出ずしんどいだけだった。10qおきに道の駅があるのでそれぞれで休む。
鳥取市には昼ごろに到着。ジャスコに入って昼飯を食べて涼む。暑くてバテそうだったが走って、砂丘会館に立ち寄る。人が多かったがここで休憩する。試食が多くあったのがうれしかった。


↑鳥取砂丘。日本ガッカリ名所の一つ。特にすることもないので歩きまわっただけ。

自転車にまたいで出発しようとしたら、ケツに痛みが走る。ついにロードレーサーの宿命ケツ痛地獄が始まったようだ。痛いのでケツをモジモジしながら走る。しばらくはケツ痛地獄が続く。
中国地方を脱出して兵庫県に入る。浜坂に着く。晩飯を食べようとしたが、周辺に食堂がなくて困った。幸い駅前の食堂とコンビニで飯を済ます。今日の行動は午後18時終了。いつもより早め。というのもケツを休ませたかったからである。行動終了してから雨が降り出した。寝場所は浜坂駅。結局この駅には次の日まで12時間ほど居たことになる。20時くらいまでは起きていたが、それ以降は記憶がない。寝ていたようだ。
寝ているときに……足つった。


関西〜東京都心編(兵庫・京都・福井・滋賀・岐阜・愛知・静岡・山梨・東京)

10・11日目 243km ―浜坂―餘部―竹野―城崎―宮津―舞鶴―小浜―敦賀―(8号線のバス停)
12日目 170km ―長浜―関ヶ原―岐阜市―一宮―名古屋―(橋の下)
13日目 85km ―蒲郡―豊橋―(道の駅 瀬見坂)
14日目 116km ―浜松―掛川―島田―静岡―(友達の家)
15日目 72km ―富士川―(富士川身延線の無人駅)
16日目 83km ―身延―甲府―(道の駅 甲斐大和)
17日目 119km ―大月―八王子―調布―新宿―秋葉原―(ネットカフェ)

10・11日目

朝メシを食べたのち自転車に乗る。ケツの痛みはまだ治っていない。知らず知らずのうちに立ちこぎする時間が増えている。


↑餘部鉄橋。以前テレビで見た通りの場所だった。

鉄橋のふもとで旅人の方から昼から天気予報で土砂降りになるという情報を手に入れる。竹野に昼前までに行くことにする。餘部から竹野までは地図で見るより時間がかかった。カーブが多いし、上り坂がちらほらあるし、実際の距離はそれなりにあった。
竹野にある温泉に入ることにする。朝9時半に昼食用にモーニングセットを注文して腹ごしらえ。10時に温泉が開くと同時に入る。昼の雨を防ぐためここで長時間たむろする予定である。休憩室で昼寝、外は大雨となる。海水浴場近くの温泉なので大勢の人間が避難してきた。そしてオレの寝ている横をひっきりなしに子供が暴れていたので昼寝ができない。「注意しろよ親!」と少し怒りを感じる。午後19時辺りにもう一度温泉に入る。午後22時、閉店と同時に追い出される。結局12時間その温泉にお世話になっていたことになる。いまだ雨止まず。暗い中走り出す。
カッパを装着して変身完了!実はこの旅でカッパを装着するのはこの日が初めてである。ケツの痛みはマシになっていた。深夜行軍も好きなのでやる気満々で夜中の田舎道を走りだす。
車もほとんど通らない雨夜の田舎道。山中に取り残された感がなんとも好きである。夜は道を間違えやすいので何度も地図を確認する。城崎の夜の温泉街はとても雰囲気がよく、走ってて楽しかった。


↑京都に入る。匂いの変化にきがついた。木の匂いがある。
他の町では気がつかない臭いである。古風な木造の家のある街道を通りぬける。

宮津着。天橋立と言う観光名所があるようだが、実際暗くて何もわからなかったのは残念。とりあえず走り続ける。宮津を越えたあたりで雨が降ったり止んだりして、そのたび俺はカッパの脱ぎ着を繰り返すハメになる。
舞鶴に着くころには空が青くなり始めた。ここで朝メシをいただく。道の駅 シーサイド高松に到着。雨もすっかりやんでいて日差しもまぶしくなっていた。一度、通り雨がきて墓場近くの神社で雨宿りする。ついでに、神社で旅の無事を祈願。
眠たいのでどこかの駅で昼寝をする。クーラーが効いていて、座布団まであったので心地よかった。2時間ほど寝る。しばらく走って、コンビニで昼飯を食べる。この時から走るのが面倒くさく感じるようになる。
敦賀着。晩メシ時なので、スーパーの割引商品を買いあさる。
高2の時、大阪からママチャリで敦賀まで走ったことがある。だから敦賀の街並みに見覚えがあった。当時も現在も敦賀はそのままで、まるで昨日のように思えて懐かしい。
日が沈んでからキレイな満月が顔を出した。(月の満ち欠けネタは6・28・38・39日目にもアリ)。月明かりだけで走ることができる。敦賀から滋賀に向けて下る。峠を越えてからバス停があったのでそこを寝場所とする。さすが雪の降る地域のバス停は綺麗で寝るのには最適である。ここにて行動終了。

12日目

バス停で起きてしばらくボーッとしていると、オジサンが話しかけてきた。その人によると毎年このバス停では旅人が何人か野宿しているようだった。俺もその一人のようである。しばらく走ると琵琶湖が見えてきた。長浜まで走ってそこで朝メシを食べる。
今日の走る気力は異常に高くどんどん進む。関ヶ原着。ただ、地図の読み違いから関ヶ原駅にたどりつくのには時間がかかった。
岐阜市に向けて走り出す。道路の整備がよくなり走りやすくなる。気持ちよく走っていたら、一つ向うの自動車が安全確認せずそのまま左折してきた。車にぶつかった。左折巻き込みというやつだな。幸いお互いにブレーキ掛けていたから軽くぶつかるだけですむ。
岐阜市に到着。普段自転車で旅をしているときは、大学写真と駅写真を撮るための寄り道をしている(例えば、岐阜県では岐阜大学と岐阜駅という感じ。県庁所在地の駅と大学の写真を撮って集めている)。駅は近かったが、岐阜大学は中心地から外れたところにあり、面倒くさかった。(大学写真ネタは19・25日にもアリ)。
愛知県に入り名古屋市に向かって走る。道路が複雑になりおれの持ってる地図だとわかりづらかった。名古屋着。


↑もちろん名古屋駅・愛知大学・(名古屋大学)に寄り道をする。

寄り道を終えたところで、周囲は暗くなり始めて、太陽が沈んだ。俺の旅の野宿は寝袋だけでテントを持ち歩いていない。名古屋のような大きな町で寝袋のみで野宿することはつらい。最悪強制深夜行軍にもなりえる。今日な寝ることができるかどうかの危機。絶望的な状況だった。真っ暗な中、泣きそうになりながら走る。
結果的に、1時間30くらい走って、真夜中の住宅街の橋の下に無理やり寝ることになる。野宿するには不適な場所、俺って明らか浮浪者だった。ちなみに橋の下にはアレ系の気になる本が散らばっていた。

13日目

この日はつらい日になった。
朝目覚めると自分の寝袋と服が砂まみれになっている。よく見たら砂っぽい橋の下であった。泥んこ状態で走りだす。
しばらく愛知県の街中を走る。蒲郡あたりのコンビニで休憩。気がついたら自転車の後輪がパンクしていた。この旅で初めてのパンクである。リム打ちした感はあったので、パンクするだろうとは思っていた。面倒くさいが修理することにした……しかし、ゴム糊が乾ききっていた。これでは修理できない。チューブを交換して修理完了。自分の準備不足を反省
パンクはそれで済まなかった……。昼飯を食べて、出発しようとしたときに再びパンクする。鬱陶しい思いながら、もう一度予備のチューブを使う。念のためタイヤに何か刺さっていないか確認をする。予備のチューブはこれで最後なのでこれが切れたら走れなくなる。そう覚悟して走り出して数メートル進んだところで……、パン!といい音を出して3度目のパンクをした。
予備チューブ切れ&ゴム糊切れで修理不能に……。こうしてオレは、近くの町まで2時間ほど自転車を押して歩くハメに。今日はツいていない。昼間は暑いので缶ジュースを購入する。千円札でボタンを押したら同じ缶が2つ出てきた。誤って2度押ししてしまったみらしい。2つもいらない。今日は本当にツいてない。ふと進行方向後ろを見ると積乱雲ができてこっちに向かって移動している。雨は降らないでほしい。
歩きで近くの町でなんとか店を探しゴム糊を購入する。これで修理ができる。パンクしたチューブを修理。3度目のパンクはリム打ちではないのでタイヤを再々点検する。異状なし。


↑近くのスーパーで晩メシを買い食べる。今日はほとんど進んでないのにもう真っ暗だ。

しばらくしても自転車の空気も抜けていない、修理成功♪降りそうだった雨も降ってない。気分を一新して走り出す。十数メートル走ったところでパン!という音が鳴った。また、パンクした。もう憂鬱だ。チューブを貼り付けて、タイヤを再々々点検する。やっと原因がわかった。ブレーキシューがタイヤにきいていて、タイヤの側面に穴が開いていた。ブレーキをかけるたびにパンクをする状態だった。タイヤの側面に穴は開いたままだが。ブレーキの位置を下げるだけで修理完了、出発する。(側面穴あきタイヤの話は29日目に続く)
真っ暗な中、道の駅「瀬見坂」に行く。道が複雑なので結構迷った。チャリダーの人が3人ほど寝ていた。一人は歩道に寝ていたのでひきそうになった。俺も眠たいのでさっさと寝ることにする。

14日目

朝6時起床。この時間でもう十分陽は昇っている。暑い。しばらく進んだところのコンビニで朝メシ。


↑左右の浜名湖を見ながら走る。ここは去年電車で日本縦断したときに見た光景の一つでもあった。

浜松までに片側4車線のとても大きな道路を爽快に駆け抜ける。
掛川に向かう1号線は大きな道路で自動車専用道路と間違えるほどである。たまに、自動車専用になって自転車のおれははじき出されたりもした。島田に向かう途中に本格的に自動車専用になったので隣の山道を登る。昨日とは違うチャリダーを3人見かけた。この遭遇率は高い。
島田にて昼飯、そして外は暑いし眠たいのでスーパー前のベンチで昼寝をする。1号線を静岡に向けて走る。追い風で走りやすい。
静岡の友達の家で泊まらせていただく。友達の家族にもてなしてもらい、大変お世話になった。ありがとうございます。

15日目

友達の家族の方に見送られて出発。いつもなら朝10時はすでに蒸し暑いのだが今日は曇りでこの時間でも涼しい。ただ、雲のせいで富士山は見えない。そしてワンゲルの夏合宿パーティーが登っているだろう南アルプスもよく見えない。
昼食後リム打ちパンクする。今日の装備は万全なのですぐに修理完了。富士方面に進み、富士川から川沿いをのぼる。富士川は中学の修学旅行で来たことのある川だ。見覚えのある風景に出会う。
天候が悪いためか、両側が山に囲まれているせいか、夜5時でも暗くなってきた。スーパーで飯を調達しようとしたが、それほど品ぞろえはよくなかった。メシ後本格的に暗かったのでライトをつけようとしたら、後ろライトの止め具がなくなっていた。後ろライト無しで走る(反射板は有)。
富士川身延線の無人駅で寝ることにする。今日は少し寒かった。終電もとうに過ぎた真っ暗な夜2時頃、知らないオジサンが駅舎に入ってきた。特に何もすることなく、ウロウロしているだけ。普通に不審者、怖かった。ただ、その人からしたらオレも不審者なんだろうけど……。今夜はあまり眠れなかった。

16日目

最近は朝が自然と早い。ケツの痛みは不思議と収まり、今ではかゆい程度である、少し走る量を控えたのが良かったようである。雲が低いため富士山と南アルプスは見えない。
朝のうちに小雨が降り出す。この時は何も考えずにカッパ姿に変身する。しかし、これが大雨の連続の最初の日になるとはこの時想像もできなかった。(以降27日目まで20・26日目以外、雨が続く。)
小学校の頃、2年ほど山梨に住んでいたことがあった。10年近く戻っていない。昔通っていた懐かしい学校や、元実家・近所のスーパーなどを自転車で走って周る。思い出の風景は子供のころのままである。大きくなった今の視点ではいろいろなものが小さく見える錯覚に襲われる。


↑昔遊んだ公園である。今も変わらず。

甲府駅に向かう。この駅は記憶に残っていない。山梨大学のベンチで昼寝をする。その後、走っている最中にサイクルメーターが外れて落ちた。危うく車につぶされるところだった。
雨が強くなってきたのでファミレスに避難して、飯を食べる。ここで福岡在住のワンゲル部員への手紙を書く。あらかじめ手紙(はがき)には返信用の住所が書いてある。俺が出してのち、手紙を受け取った彼らがその指定された住所に返信の手紙を送り俺が受け取る。一回限りの文通をしようという試みだ。俺はみんながちゃんと返信してくれることを期待している。 (手紙を出したのは18日目。事の顛末は27・30・36日目。送った相手は今城氏・酒井氏・杉野氏)。返信が楽しみだ♪ワクワク♪♪
甲府から東に進む。ブドウ畑が広がる道を通り抜ける。雨さえ降ってなければ快走できただろう道である。徐々に暗くなっていき、闇の山道を登る。自動車が多かった。
道の駅「甲斐大和」にて行動終了。雨は少なくなっていた。この道の駅は車が多そうだと思っていたらそうでもなく静かだった。今日はぐっすり寝ることができた。

17日目

朝から大雨だ。ヤル気が出ない。テンション低し。道の駅出てすぐの3qに及ぶトンネルに入る。歩道無し、しかし車も少なかったため助かった。トンネル越えたら雨量が増えていて驚いた。八王子までは上下運動があった。八王子付近で祭りが行われていたのが気になった。旅の最中に偶然見つけた祭りには普段参加するのだが、雨のためにその気もおきず素通りする。20号線を東京都心に向かって走る。さすが大都会、自転車は走りやすくて何よりだ。ここ周辺も名古屋市街と同じように道路が複雑なので迷った。今日は特に太陽が出ていないぶん方向感覚もない。結果同じところをウロウロさ迷うはめになった。


↑皇宮広場。広さにビックリ!大都会にある緑というアンバランスさも俺にとっては好印象である。
ビルの上部が白くなっているが、完全に霧に隠れているビルもあった。


↑国会議事堂+オレのチャリ。お金を稼ぐならこの職場!


↑東京駅。俺の県庁所在地の駅写真特集の一つ。このレンガ造りの駅舎は好きである。

東京駅から秋葉原に向かう。去年、秋葉原を歩きまわった時あの大通りを自転車で駆け抜けてみたいと思っていたので、走ってみる。思っていたよりも短かったが、なんともいえない高揚感があった。ちなみに秋葉原でいろいろな店を回るのは去年楽しんだので今年はスルー。秋葉原にあるネットカフェにとまる。宿泊代を払ったのはこの一日だけである。ネカフェのブース内にカッパなどを乾かしていたのは俺だけだった。


東京〜青森編(東京・埼玉・栃木・福島・宮城・岩手・秋田・青森)

18日目 121km ―水道橋―浦和―大宮―春日部―幸手―鷲宮―古賀―(道の駅 思川)
19日目 141km ―宇都宮―矢板―黒磯―白川―(泉郷駅)
20日目 133km ―群山―二本松―福島市―白石―(鉄橋の下 草むらの上)
21日目 139km ―岩沼―仙台―松島―涌谷―佐沼―(石越駅)
22日目 110km ―一関―平泉―水沢―北上―(道の駅 錦秋湖)
23日目 119km ―横手―大曲―(四ツ小屋駅)
24日目 141km ―秋田―八郎潟―能代―(無人駅)―(バス停)
25日目 124km ―鰺ヶ沢―五所川原―青森市―(バス停)

18日目

ネットカフェの外に出ると寒かった。人のまばらな秋葉原は新鮮味がある。雨は降りそうだがこの時はまだ降っていなかった。


↑東京ドーム。手前にあるのがMy自転車。この写真を撮った後から雨が降り出す。
さすがに雨がこうも続くと憂鬱になってくる。

浦和駅まで爽快に走る。この後、春日部駅に寄り道をし、幸手市、鷲宮市を巡る。このあたりの話は割愛。悪しからず。詳細はここをクリック。
鷲宮市で例の手紙を出す。「ちゃんと届けよ、そして帰ってこいよ」と祈っておく。(内容説明は16日目。事の顛末は27・30・36日目)。
雨に打たれている時間が今日は長い。カッパ内に雨水が浸水してきて、服がびしょびしょになってきた。下着まで浸水したのはこの旅で今日が始めて。
日が沈んで、道の駅「思川」を目指そうとする。号線番号が同じ別の道路があり、騙されて間違った道を30分ほど走っていた。気がついた時は目的地が遠くなっていてつらかった。道の駅に着いてからさっそくカッパを干した。今日は机の上に寝袋を広げて就寝。

19日目

起床する。雲が低い。また雨が降っている。道の駅の障害者用トイレで着替える。
風は逆風。今日はあまり気力はなかったが、走らなければという使命感をなぜか感じた。ただそう考えて走ると、同じ距離でも遠く感じてしまうのがしんどい。
宇都宮駅で県庁所在地大学写真特集に栃木大学の写真を加えるため、地図で大学を探す。他都道府県ならすぐに大学の位置がわかるのだが、今回は栃木大学が見つからない。しばらく地図と睨めっこするが結局見つけられず、栃木大学の写真はあきらめる事にした。栃木大学は存在するのだろうか?
雨が止むが、曇りのせいで涼しいか寒いかであって暑くはない。本当に夏かどうか疑わしかった。4号線を北上する。
晩メシを大型デパートの食品売り場で飯を調達する。総菜売り場をウロウロしていたら、店員のおばちゃんが総菜に割り引きシールを貼りだした。これはラッキーだと思って、おばちゃんの後ろをつけて目当ての商品にシールが貼られるのを待つ。そうしたら、そのおばちゃんの仕事がとても遅い。見ていてイライラしてきた。目当ての商品に行きつくまで30分以上待たされるハメになった。
日が沈む。自転車の後ろライトは15日目に止め具が外れてそのままだったが、設置できるように応急処置をする。それから1時間半ほど走る。しばらくすると雲が晴れて夜空が見えた。周囲は車も民家もない田んぼ道、その夜空に不思議と感慨を覚えた。
泉郷駅にて行動終了。長椅子に横になる。

20日目

この日は素晴らしいことが起こった。雨が降らなかったのである。この事実だけでテンションは高い一日であった。(16日目〜27日目まで今日&26日目を除き雨が続く)。ノリノリで北を目指す。


↑郡山付近にサイクリングロードがあったので走る。川沿いの気持ちのいい道である。道がわかり難いのと、いきなり未舗装の道があるのはハメだと思う。自転車道を出たところで道に迷ってしまった。
ここにきて食欲が異常に増える。一日4000キロカロリー以上摂取しないとハラが減るようになってしまった。おかげで食費がここから高くなってしまった。
福島付近にて昼食を食べる。そして北上。福島・宮城県境の峠は比較的楽だった。途中事故車があり、車が渋滞していた。渋滞車をしり目に走りぬける。
白石着、ここで晩メシにラーメンが食べたくなった。ラーメン屋を探して走っていたらラーメンではなく「うーめん」と書かれた食堂ばかりであった。うーめんって何?(この地域の特産品らしい)。数少ないラーメン屋を探しだしてラーメンをいただく。
暗くなり仙台方面に向かう。ただ仙台に近いと野宿ができないので途中の無人駅で寝ようと進む。


↑少しぶれているのは悪しからず。土砂崩れがあったのか、道路の大部分はふさがっていた。 自転車が通れたのは幸運だった。

無人駅「東白石駅」着。ここを寝床にしようと思っていたが、終電が遅く始電が早い。野宿には不適だった。ここで寝ることができず、さらに仙台方面に歩みを進める(引き返す気はなし)。今日は寝ることができるかわからず大いに困る。
少し進んだところの新幹線の鉄橋の下で寝ることにした。騒音が非常にうるさい。虫がいっぱい。寝床が見つからないよりはマシなのでここの草むらの下に寝袋を広げる。↓野宿スポットとしては最悪な部類だった。

21日目

昨日寝た場所が悪かったために朝早く4時に目が覚める(就寝は21時)。周囲は普通に暗いのでライトをつけて出発。岩沼に近づくにつれてトラックが多くなる。霧が出てきてじきに雨となる。製紙工場の煙が上空の低い雲に混じっているのは幻想的であった。
仙台に寄り道をして松島に進む。今日はこの天気なので寒く感じた。太陽が顔を出した昼前に眠たくなったのでスーパー前のベンチで昼寝をする。
松島はその名の通り松と島しかなかった。


↑風景はいいのに曇りだったのは残念だった。

松島を出て北上しているときに本格的に雨が降ってきた。しかも冷たい。近くにあったクツ屋で雨宿りをする。
今日は晩メシにうな丼を食べたくなる。たまには贅沢してもいいだろう。ちょうどいい所にそれを提供している店があったのでおいしくいただく。
夜中も雨が続いた。その雨闇の中、寝れるところを探しながら走る。途中の民家のひさしで休憩する。気合いを入れなおして出発してしばらくしてヘルメットをかぶり忘れているのに気がついて取りに戻る。「石越駅」に到着。小さな駅だと予想していたが、それなりに大きな駅だった。この辺は地図から駅の規模が推測できないのがつらい。この石越駅はあきらめて、近くに廃線になった駅があったのでそこで寝る。


↑夜中に轟音がすると思ったら、とてつもない大雨が降っていた。驚いて目が覚めてしまった。

22日目

しばらく風呂に入っていない。久しぶりに温泉に入りたくなった。
朝は止んでいたが徐々に雨が降ってくる。一関手前のビルの階段で雨宿り。平泉あたりで雨がやむ。朝のうちは走っただけ。
水沢の駅の待合室にて昼寝をする。北川到着。地図に温泉が書かれていたので、意気揚々と目指す。8日ぶりの温泉に入りたいという欲が一層強くなる。場所が分かりづらかったが、なんとかその場所にたどり着いた。しかし様子がおかしい、閉館なっていた。悲しかった。結局今日は風呂に入れず。
日が沈みかけていた。ここから奥羽山脈をこえて秋田に向かう。田舎の夜道なので自分の自転車と自動車の明かりが頼りだった。自動車が少なくなっていくと一面が闇に包まれるようになった。その中ライトアップされた湯田ダムがキレイに見えた。錦秋湖を横目に見ながら、道の駅「錦秋湖」で行動終了。
その道の駅で奈良県から来たライダーもここで一晩過ごすことにしていたので待合室で一緒に寝ることにする。夜中に激しい雨が降り出す。携帯電話で天気を調べたら前線が北海道と青森にかかっていた。これで前線3連続になる。いいかげん雨が降らないでほしい。

23日目

寝心地が良かったため2度寝。朝7時起床。今日こそ温泉に入る。


↑昨夜は暗くて見ることのできなかった湖の風景はまたよかった。

峠の標高はたかが300m。想像していたより奥羽山脈は緩やかであった。体感的には距離がった。朝メシがうまく調達できなかったので持ち歩いてるカロリーメイトをいただく。
道の駅「雁の里せんなん」に着く。久しぶりに旅の友のソフトクリーム(マンゴーアップル)をいただく。待合室で昼寝。起きたら空が低く、走りだしてすぐに大雨が降りだした。雨宿りしようとしたが田んぼばっかりで、雨の中カッパ姿に変身して走る。走っているうちに全身ビショビショになる。
温泉のために道を大きく迂回する。道が難しく時間がかかった。
9日ぶりの温泉にたどり着く。久しぶりの極楽、ゆっくり温泉につかり待合室でのんびりする。暗くなるまで温泉で休む。外の雨は激しくなっていた。すぐにカッパの中身まで雨水が浸水してきたのはたまらない。10qほど走ってコンビニを発見。そこで雨宿り&晩メシを食べる。おじさんが無言で飲み物をくれたのはうれしかった。


↑四ツ小屋駅着(写真は朝)。駅内で野宿しようとしたが、
近くのバス停のほうがよさそうだったのでそこで落ち着く。濡れてしまった服を日干し。

24日目

昨日のとんでもない雨はどこにやら。今朝は晴れていた。衣類が乾ききっていなかったのは残念だが走りだす。ヤル気はまぁまぁである。秋田大学付近のコインランドリーで洗濯する。
最近は疲れがたまっているのか、走っても思っていたよりも進んでいない。地図を見てもあまり進んでいないことにショックを受けることが多くなる。
八郎潟に入る。ここの風景には驚かされた。地平線まで続く長い直線道路が姿を現す。めちゃめちゃ広い田園風景が広がっている。ここを進むのは楽しそうである。30分走ったが風景は一切変わらない。徐々にこれが苦痛へと変わる。精神的につらい。発狂しそうになる。結局抜け切るのに1時間30分かかり、変化の少ない直線道路はもう走りたくなくなった。
18日目に出した手紙の返信状況を本人にそれとなく探ってみた。(内容説明は16日目。事の顛末は27・30・36日目)。酒井氏は返信を執筆中のご様子。今城氏は不明。杉野氏はきちんとしている人だからあえて探らず。
道の駅「みねはま」で休憩。ソフトクリーム(ソバ味)を食べる。見た目がバニラと変わらない。101号線を北上しているうちに一度パンクをする。近くの消防署ですぐに修理を済ます。


↑日本海に沈む夕日。

この周囲この時間になると、食堂やコンビニの類の店が見当たらない。腹が減ってきてしんどくなってくる。持ち歩いているカロリーメイトを食す、これが晩メシ。少しの間、雨が降っていた。
無人駅にて今日は行動終了……しようとしたが、実はここでやりたいことがある。近くに露天風呂があるのだが、真夜中に星空を見ながら湯につかりたかった。だから、ここで4時間ほど仮眠をとり、夜1時ごろにその温泉に入ることにした。
夜中に目を覚まし目的の露天風呂を目指す。しばらく走っていると、雨が降り出してきた。すぐに止むだろうと楽観視していたが、どんどん雨量が増えていく。最終的には激しい雨になる。この露天風呂を楽しみにしていたので、さすがにこの大雨にはキレる。もう雨に振り回されるのは嫌だ!こうして荒れながら近くのバス停で本格的に寝ることになった。
そういえば、白神山地ってどこにあったの?

25日目

最近はどんどん朝が早くなっている。朝4時30に起床。雨はやんでいる、相変わらず周囲にこの時間に開いている食堂・コンビニが無い。持ち歩いているカロリーメイトと自販機の栄養ドリンクが今日の朝メシになる。
鰺ヶ沢まで多少のアップダウンがある。その道を走っているうちに前ギヤのレバーが故障。インナーギアに入らなくなった。以前からレバーが重くなってきた感があったがここでつぶれる。気合いで乗り切る。ちなみに鰺ヶ沢間で雨が降った。
五所川原に向かう。道の駅「もりた」にてソフトクリーム(ぶどう味)を食べる。途中で昼メシ。そしてデパートで2時間ほど昼寝。北海道攻略用にお買い物もすます。
7号線を走り青森市に到着。大学写真特集に青森大学を地図で探す。青森市のずいぶん外れの方にある。どこぞの岐阜県のように長い寄りに道になってしまった。


↑青森大学。寄り道をしているうちに日はすっかり沈んでしまった。

青森駅に向かって、駅近くのファミレスで晩メシ。ここは去年、電車で日本縦断したときに歩いた町だ。なつかしい。
今日が最後の本州になる。明日から北海道に上陸する予定。中心地から少し離れたバス停で寝ることにする。


北海道前編(函館・長万部・室蘭・苫小牧・襟裳・帯広・釧路・根室)

26日目 39km ―青森―(フェリー)―函館―大沼―(大沼駅)
27日目 120km ―森―八雲―長万部―豊浦―(道の駅 とようら)
28日目 154km ―室蘭―白老―苫小牧―むかわ―(道の駅 むかわ四季の館)
29日目 107km ―富川―静内―浦河―様似―(バス停)
30日目 119km ―襟裳岬―広尾―(道の駅 忠類)
31日目 78km ―カニ―帯広―幕別―(幕別駅)
32日目 157km ―浦幌―白糠―釧路―厚岸―(道の駅 厚岸グルメパーク)
33日目 145km ―厚床―落石―根室―納沙布岬―根室―(花咲駅)
()は野宿したところ。(フェリー)はフェリーで移動。

26日目

北海道へのフェリーは朝8時10分発。起きてからしばらく時間があったので待合室にて昼寝。
自転車を解体してフェリーに乗る。フェリーの通路が狭かったので乗り込むのに時間がかかった。フェリーで函館まで4時間ほど。その航行時間の9割は昼寝して過ごす。


↑目の前の見えるのは函館山。こんなに晴れたのは久方ぶり。実に晴れやかな気分である(16日目〜27日目まで20日目&今日を除き雨が続く)。

函館にてリム打ちパンク。腹が減っていたので修理を後回しにし、歩きで店屋を探し食後に修理。函館は去年来たときに巡礼を楽しんだので今回は観光もしない。
桔梗駅近くの自転車屋さんで自転車のレバーを取り換えてもらう。替えがあったのが奇跡である。グリスアップもサービス。いろいろ親切にしてもらった。レバーがソラから105にグレードアップして気分一新。
蛙がゲロゲーロと鳴いているため明日は雨が降るようだ。日が沈んでからはすでに天候が怪しくなっている。暗い中霧も立ち込めてきた。途中でパンク。原因は空気の入れすぎ(元々、ボロチューブ使っていたし)。北海道の夜道は本当に暗い。真っ暗な大沼が俺の目にはなぜかキレイに映る。
大沼駅着。ここを寝床とする。駅で野宿する際は、終電が過ぎてから寝るのがマナーである。終電まで待とうとしたが、同じ方面から向かってくる最終電車から一つ前の電車が無人だったのを見て、眠い中耐えて待っているのがバカらしくなる。終電待たずに寝てしまった。

27日目

今日は杉野氏から手紙の返信を受け取る日である。(手紙の内容説明は16日目。事の顛末は27・30・36日目)。楽しみである。朝になっても霧は晴れず。雨は降っていない。郵便局に訪れる際の時間調整のためしばらく駅で時間を潰す。
少し走って駒ケ岳郵便局に向かう。朝9時開店と同時に入る。ここには杉野氏からの手紙が来ているハズである。
郵便局の職員に尋ねたら届いていなかった。残念と言うより不思議。のちに杉野氏に電話で確認を取ったところ、本人はポストを10日近く見ていなかったらしい。別の住所を指定して送ってもらう。(36日目に移行) 
郵便局を出たあたりで雨が降り出した。のちに激しい雨になり、走れなくなりバス停に避難することになった。


↑雨がましになってきたら、近くの土産屋さんで買い物。ソフトクリーム(メロン味)をいただく。以降長万部まで、雨が激しくなる→避難 雨がマシになる→走る をしばらく繰り返す。
長万部で旅人とお話。リンゴ一個をもらったので、駅前でかぶりつく。

北海道の道は本格的に信号の数が少ない。次の信号で休憩すると決めて走り出すと、そのまま1時間ぶっとおして走る事になり疲れる。しかしそれに見合った距離を進める。
しばらく走ると雨に加えて霧が濃くなってきた。その中を深浦まで走り切る。道の駅「ふかうら」にて行動終了。全身ビショビショであった。
北海道は旅人が多い。避難しているバス停でライダー1人と会い長万部駅でチャリダー1人に会い、道の駅「ふかうら」ではライダー1人、オレの他にチャリダー1人と寝る。

28日目

今日の朝は違う。天気予報より、これからしばらくは晴れの日が続くということを知りテンションがいつもより高い。東京から雨ばかりの日々が続き憂鬱になっていたのでようやく大雨から解放されることに喜ぶ。
北海道の長い長い直線道路を気持ちよく走る。休みなしで1〜2時間ほどぶっ通しで走った。室蘭越えて苫小牧まで一気に走る。途中の交差点で走りだしたときにサンダルが脱げてしまい、後続車に迷惑をかけた出来事があった。
田舎の郵便局は都会に比べて不便な点がある。郵便局は土曜日には開いてないのだ。このペースで進むと今城氏&酒井氏の手紙の返信を襟裳岬にある郵便局で受け取るのは土曜日になってしまう。(手紙の内容説明は16日目。事の顛末は27・30・36日目)。よって、電話をして無理矢理でも土曜日に手紙を受け取れるように懇願する。この懇願は成功し、土曜日に受け取ることができた。職員の方々ありがとうございます。
苫小牧駅に到着。ここは去年日本縦断電車の旅にて歩いて回った街である。その時は祭りがおこなわれていて立ち寄ったのだが、今回はやっていないようだ。駅前のベンチで昼寝をする。
道の駅「四季の館むかわ」を目指す。民家一軒もない直線道路を向かい風を浴びながら走る。この道はしんどかった。むかわ着、この道の駅で寝ようとしたら、人がめちゃめちゃ多い。温泉とホテル併設の道の駅だからである。とても野宿できるところじゃなく、完全にあてが外れた。他にも同じようにあてが外れたチャリダーが3人。みんな困った。
2人は別の場所に移動、残りのチャリダー(この人は同時に登山家)の人と近くのバス停で野宿することにする。スーパーで総菜を買い食べる。しばらく会話をして夜の9時ぐらいに就寝する。
空を見上げていたら、ほのかな明かりが浮かんでいる。雨が続いていたため、久しぶりの月を見た。綺麗な三日月である。この月は欠けている最中だと思ったら、本当は満ちている最中であった。しばらくしたら満月になるだろう。満月を見たのはずっと以前。こんなにも月日が流れているのだなと実感できた1コマであった。(月の満ち欠けネタは6・11・38・39日目にもアリ)。

29日目

朝はのんびり過ごす。昨日一緒に寝たチャリダーの方は先に出発。その後、しばらくして道の駅に身なりを整えて出発。



↑今日は一日サラブレッド街道を走る。馬と海と草原が続いていた。逆にいえばそれしかない街道だった。風景はそれなりに良し。厚賀手前の神社にて休憩。神社の人にジュースと水をいただく。

静内にて昼飯、思っていたよりも大きな町である。駅周辺のベンチで昼寝をする。
道の駅「みついし」付近でパンクする。2日に1回の頻度でパンクする。この時はただ単に修理しただけであるが、そろそろ側面の穴が限界に近いようだ。(側面穴あきタイヤ、詳しくは13日目)。しばらく走って、側面の穴からむき出したチューブがパンク。このタイヤはもう寿命なので予備タイヤと交換する。このパンク修理の際、ライダーの方に手伝ってもらった。
地図には浦賀以降にコンビニが無いと書いていたので浦賀で晩メシと次の日の朝・昼メシを購入して手に持って、片手ハンドルで1時間ほど走る(手に持って走ったのは、カバンに入らないから)。実際は様似あたりまでコンビニは存在した。


↑この浜辺で晩メシを食べる。食べ終わったら暗くなっていた。すぐ近くのバス停で今日は行動終了。夜中はぐっすり寝ることができた。

30日目

今日は襟裳郵便局で今城氏と酒井氏の手紙の返信を受け取る日である。(手紙の内容説明は16日目。事の顛末は27・30・36日目)。楽しみである。
朝メシを食べた後、昨日の晩メシの分とのゴミ処理に困る。ゴミ箱が周辺にないのである。仕方がないのでゴミを片手で30分ほど走るハメになる。ゴミ箱が少ないのはつらい。
襟裳郵便局着。さっそく問い合わせたら、酒井氏からの返信が来ていた。しかも分量がとても多くてウレシかった。一方今城氏からの手紙の返信が来ていない。まあ、ワンゲラーだし家に帰っていないこともあるだろう。返信が遅れる可能性もあるのでその時は別の場所に返信を指定しているため問題なし。(今城氏の返信は36日目に移行)。
手紙をカバンに入れて岬に向かう。岬までの風景はとても良い。ただ、多少の上下運動と遮る物が無いため風が強いのが傷だった。天候は曇りだったので風の効果もあり寒かった。


↑海に見える岩礁は日高山脈の落ち込みである。

岬でソフトクリーム(コンブ味)を注文する。コンブソフトクリームと思ったら、バニラに昆布の粉をまぶしていた。それはそれで美味しかったが……。
帯広に向かって黄金街道を北上する。強風吹き荒れ走り難し。30qほど道路しかなかった。海岸と絶壁の間に道路が作られた街道。よくこんなところに道を作ったなと感心。トンネルの多さに驚く。頻繁に道がつぶれて常にどこかの区間が工事中になるという道路、5年前は自転車は通行できなかったとかなんとか……。途中で腹が減って動けなくなったので例のカロリーメイトをいただく。
さらに走ると食堂がある。その食堂に入り酒井氏の手紙を読む。なんだか幸せな気分になる。黄金街道を抜けきるのには時間がかかった。
街道を抜けたら平原風景が続く。いかにも「北海道!!」と言うような平原が続く。道の駅「忠類」を目指す。辺りは霧が立ち込めて、白いドームで覆われた平原を走っていた。道の駅にて行動終了。寝ることができそうなベンチがトイレの前にあったのでそこで寝る。しかし往来する人が多いので寝れなかった。場所を変更して外のひさしの下、砂利の上に移動して寝ることにした。

31日目

今日は天気予報では午後から雨なので、あまり走る気はない。とりあえず午前中に帯広に行きたいので早目に走り出す。道の駅「なかさつない」で一休み。旧幸福駅と旧愛国駅を訪ねる。
ライダーズハウス「大正カニの家」に立ち寄る。情報収集のためである。本物の旅人が大勢いて少し圧倒された。いろいろなことを教えてもらったので旅人の方たちに感謝。
帯広で名物の豚丼を食べる。しかし帯広は飯屋の数が少なくて不便であった。昼飯を食べ終わったころから大雨になる。自転車屋に用があったので自転車屋の場所を聞くために交番に入る。誰もいなかったので、警官が戻ってくるまで交番で昼寝。2時間ほどしたら雨が止んだ。警官が返ってくる気配がないので、所定の電話で道を聞く。こっちの方が早かった。自転車屋でチャリ用品を購入。帯広を離れる。
大正カニの家で教えてもらった「幕別駅」で行動終了。タタミ付きの待合室なのがいい。今日はスーパーで酒を買って少し酔った状態で終電を待つ。


↑大雨が降りだす。すでに行動終了している俺にとっては関係のないことである。

32日目

北海道は平原がどこまでも続いている。はっきり言って見飽きてきたのでボーっと走ることが多くなってきた。今日もボーっと走る。朝方の記憶はあまりない。
音別駅近くのコンビニにてチャリダーの人と会う。これからほぼ同じルートで北海道を一周するそうだ。しばらくして、彼が先に出発する。もしかしたらまた会うかもしれない。
白糠辺りで腹が減ったので近くのおばちゃんに食堂がどこにあるのかを聞く。道を間違えて民家すら少なそうな田んぼ道で食堂が見当たらなくて焦った。食堂発見。しばらく飯を食べてると他のチャリダーが入ってくる。特に話しかけることもせず食堂を後にする。
釧路手前にて音別出会ったチャリダーと再会。釧路まで一緒に行動する。釧路駅にて記念撮影をして別れる。
そろそろ風呂に入りたくなってきた。しかしちょうどいい位置に温泉がなかったため諦める。尾幌に向かうまでの軽い峠であたり一面が霧に包まれる。幻想的な雰囲気がとてもいい。
無人駅「もんしず」に到着、ここにて行動終了としよう。待合室はサウナ状態、でもひさしのある板の上に寝むれそうである。晩飯を食べようとしたら、周囲に食堂&コンビニの類が一切ない。困ったため厚岸まで進むことにする。
厚岸近くのコンビニで飯を食べる。道の駅「厚岸グルメパーク」にて行動終了となる。厚岸の夜景を独り占めできたのはうれしかった。

33日目

季節はそろそろ秋、朝は冷え込むようになってきた。普通に寒い。根室まで線路沿いを一気に進むことにする。多少の上下運動があった。


↑直線道路は見飽きたが、この直線道路は雰囲気が良くて好きだ。去年電車で通った時に、ウトウトしながら車窓から覗いた壮大な風景にももう一度出会うことができた。電車と自転車では同じ風景でも印象が全く違った。


↑東根室駅着。日本最東端の駅である。ついにここまで来たと実感。

一度根室駅に立ち寄ってから日本本土最東端の納沙布岬に向かう。去年電車で日本縦断した時、根室駅から納沙布岬まで往復50qちょっとの道路を歩いた事があった。あの時は2日間かけて歩いたが、自転車だと2時間半で往復できた。いろいろと懐かしい根室半島である。


↑日本本土最東端の納沙布岬。去年来たときは霧が出ていて国後島は望めなかったが今年はしっかり見ることができた。ちなみに写真の島影は歯舞諸島。

納沙布岬から帰ってきて根室にて風呂に入る。セッケンとシャンプーが浴室内になかったのでタオルをゴシゴシしてすます。風呂後、根室駅周辺のスーパーで晩メシを食べる。
普段、俺は野宿するときには降水確率を常に気にしている。降水確率が1%以上なら屋根やひさしのあるところで寝ることになる。日本縦断の旅を始めて夜の降水確率が0%になったのは実は今日が初めてである。屋根やひさしを考えず、星空のもとで寝ることができるのである。「花咲駅」のホームで就寝することにした。
星が瞬く夜空の下、林の向こう側をかけている電車の音がとてもステキだった。


北海道後編(中標津・網走・北見・稚内・留萌・札幌・苫小牧)

34日目 92km ―厚床―別海―中標津―(川北の公園)
35日目 111km ―斜里―網走―女満別―(道の駅 メルヘンの丘 めまんべつ)
36日目 39km ―北見―(友達の家)
37日目 117km ―留辺蘂―湧別―紋別―(道の駅 オホーツク紋別)
38日目 139km ―興部―浜頓別―(バス停)
39日目 172km ―宗谷岬―稚内―豊富―天塩―遠別―(バス停)
40日目 128km ―初山別―羽幌―留萌―北竜―(バス停)
41日目 126km ―雨竜―札幌―(バス停)
42日目 57km ―恵庭―千歳―苫小牧

34日目

天気予報で夜中は雨が降らないと確認したので星空の下で野宿する。目が覚めると、あたり一面濡れている。寝袋もビショビショ。決して朝露のレベルではなく驚いて飛び起きる。


↑濃霧が発生。カバン&寝袋一式濡れてしまう。あわててサウナ状態の駅舎に入り乾かす事になる。ある程度乾いてから出発。

朝のうちは寒くて、手袋が欲しいほどである。これほど強い霧ははじめて、周囲が見えないので自転車もライトをつけて走り出す。


↑道の駅「スワン44ねむろ」着。風蓮湖を展望しようとしたが、霧のため何も見えず。この道の駅を出発してから霧が晴れてくる。

風蓮湖から中標津に向けて走り出す。周囲は牧場しかない。緩やかな上り下りの坂道が連続で他は何もない。以前から地図で見た時は、根室と知床の間は平原が続くと考えていたが、実際は起伏の多い道である。オマケに、朝夜と違い昼はとんでもなく暑い。
中標津にて電柱の鳥が俺のカバンにフンを落とした。ムカつく。
腹が減ったので中標津で昼飯を食べる。食堂「やまや」で「やまやスペシャル大盛」を注文する。自転車で旅をしていると食欲が異常に増えて、たとえ800gのカレーでも物足りないと感じるほど胃は大きくなっている。だから、余裕で食べることができると思ったら「やまやスペシャル」はボリュームがとてつもなかった。いくら食べても減らないのである。何とか食べ切れたが、吐きそうで動けなくなる。
今日は昼メシ後行動終了となる。とっても走れる状態ではなかった。公園近くのベンチを見つけて胃を休めるため昼寝。気持ち悪い。
少しだけ進んで、川北という町に到着。バス停はサウナ状態だったので公園のベンチで寝ることにする。昼の満腹感があり、晩メシは少なくて済んだ。
星空はキレイだったが風が吹いてきてからは寝袋から出ることができないほど寒かった。

35日目

強い冷たい風は朝になっても止んでいなかった。朝4時に起床。でも寒くて寝袋から出られないので6時まで耐える。日が昇ってきたので出発。今日は昨日と違い手袋をちゃんと装着する。
強い追い風が吹いているので、スピードがグングン出て気持ち良く進める。ただ、北海道の道は直角道路なのでいったん曲がってからは、強い横風を受けるようになりそれはつらかった。
根北峠を越える。楽な峠ではなかったがつらすぎるということもなかった。斜里まで走る。

道の駅「しゃり」で昼寝をする。この時、十勝沖で地震があったらしく心配した友達が俺の安否を聞いてきた。地震が起こった時間は何もない平原を走っていたので問題はなかった。それよりも、気がつかなかった。
風景が変化しないのでボーっとしながら走る。道の駅「葉菜野花」にて休憩。
網走着。ここで飯を食べて、女満別に向かって走る。北見には友達が住んでいるので、もしかしたら今日中に行けると思ったが、日が沈んでから標識を見たら残り50qもあり諦める。
女満別の道の駅に到着する。ここで寝ようとしたが野ざらしの上、未だに止んでいない冷たい風のためにここで寝たくない。近くにあった小屋型のバス停を寝床とする。ちょうど季節の変わり目である。風邪をこじらせたらしくすこし気分が悪いのでさっさと寝ることにする。

36日目

小屋のバス停は朝でも暖かい。35日目の朝とは大違いである。寝ているうちに風邪はマシになった。外に出たらメチャメチャ寒かった、朝から雨が降り出しているのもいやだったが、今日は友達の家でのんびりくつろげるから良しとしよう。美幌にて朝メシを食べる。北見までの道は距離にすれば短かったが、気分的に長かったような気がする。友達の家に朝9時30着、雨はやんでいた。今日はここで野宿。

さて、ここはオレが指定した手紙の返信最終地点である。(手紙の内容説明は16日目。事の顛末は27・30・36日目)。つまり、ここに我らが友達思いで真面目なワンゲラーからの励まし手紙の返信が届いているハズである。27日目と30日目に受け取れなかったので、ここに返信されている予定である。期待しています。今城氏、杉野氏。
胸をときめかせながらポストを開いてみると不思議な事に何も入っていない。
ポストには手紙らしきものはなかった……。驚いた上にとても寂しい。
そういうわけで、両名との手紙の受領はできなかった。ワンゲラーとの手紙の文通がうまくいったのは結局、酒井氏のみであった。(ちなみに、杉野氏は手紙を返信済みだった。なにかの手違いでうまく届かなかったみたい。せっかく返信してくれたのに残念である。)
結果はどうあれ、手紙の返信はこの旅では心の支えになった。俺の文通に付き合ってくれてありがとう、酒井氏!杉野氏!感謝してます。そして手紙をシカトした今城氏、ありがとう!(12月6日現在、彼からの手紙の返信はまだ来ない。)

37日目

友達の家を昼ごろに出る。とても暑い。友達もこんな暑い日は久しぶりだと言っていた。何も考えずに瞑想しながら走る。上り坂をのぼったが、長い旅の末にギア変速の調整もむちゃくちゃになっていたためとても登りづらかった。BBから変な音も鳴りだしている。大丈夫か?このチャリ。
昼飯を適当に済ませたので途中で燃料切れになる。近くのスーパーできちんと昼食をとることになる。
今日は走っていても見どころが無い。風景が変化しない直線道路。風もあって走りにくい。大変うんざりしながら走る。
道の駅「オホーツク紋別」に到着。道の駅ではなく近くの公園を寝場所とする。近くの町まで飯を買いに出かけて公園で晩メシを食べる。


↑海岸から海風を遮るものが無いので直に風がかかる。少し寒いが、寝袋に入れば平気なのでそのまま寝る。(写真は朝)

38日目

朝のオホーツクの風は寒い。今日は降水確率0%。やる気満々なので、走れる暖かさになってから寝袋から飛び出す。宗谷岬まであと百数十qである。今日は宗谷岬の手前まで走り切るつもりである。
太陽が高くなると朝の冷え込みと違いとても暑い。この気候は困ったものだ。しかも、もっと困った事に雨が降り出してきた。雨は降っているが太陽は顔を出している。結果、おれは暑い日差しの下、カッパを着て走る事になった。
今日は天候が全く予想できない。雨が降る→カッパを着る→雨が止む→カッパ脱ぐ→雨が降る。この繰り返しになった。この天気にはムカついた。しばらくイライラして「話しかけるなオーラ」発しながら走る。
昼ごろに雨は止む。残った敵は暑さと強風である。強風は一日中吹き続けて、俺の走行速度と体力をずいぶんと削ってくれた。
浜頓別のスーパーで弁当を購入する。レジを済ませた後に買った別の商品が割引されていたのは残念だった。弁当は近くのボロいバス停で食べる。今日の寝る場所を確保するためさらに北に向かう。


↑夜空が明るい。雲ひとつない夜空に輝く満月を見る。(月の満ち欠けネタは6・11・28・39日目にもアリ)。月が眩しいほどキレイである。今日は中秋の名月。思わず見惚れそうな月である。夜中の寒い中、服を着込んで走っていたのだが、月のもとではそのつらさもマシになった。

暗闇の中、小屋型のバス停を発見。今日はこれで寝る。床はベニヤ板のようだ。寝袋を敷いて寝ていたが、板から寒さがしみ込んでくる。外は寒風が吹いているため出たくない。今晩は、結局寒さから逃げられず何度も起きることになる。あまり寝ることができなかった。

39日目

今日も朝は寒い。この寒さがあと何日続くだろうと考えるとつらかった。しばらくバス停にこもるが、さっさと宗谷岬まで走り切りたいので服を着込んで走り出す。
寒いくせに日差しだけは相変わらず暑い。道の駅「さるふつ公園」に立ち寄る。この公園には同じような旅人が野宿をしていた。俺はここに入り水だけ確保てさっさと北に向かう。


↑宗谷岬まで残りわずか9q。あとは走り切るだけである。日本縦断完走まであと少し!(参考 1日目・宗谷岬まで残り2700qの標識の写真)


↑宗谷岬に近づくにつれて、風車の数が増えていく。風車が多いということはここは風が強く吹くということである。実際に海風を浴びながら走るのは背筋にきた。しんどいが、あと数キロと考えて、なんとか気合いを出した。


↑日本最北端の地・宗谷岬に到着!長い道のりの末にこの場所にたどり着くことができた。去年も訪れた場所なので、走りながら思い浮かべていた光景と変わっていない。今年は晴れたため岬の遠方にサハリンの島影が写っていた。日本縦断自転車の旅はここにて成し遂げることができた。

強風はいまだ止まず。稚内まで走ることにするが、風のために思うように進まない。宗谷岬を越えてから俺は帰りたいという強い感情が湧いてきた。福岡の家に早く帰宅したかったのである。その感情をばねに強風にも負けず走り出す。
稚内市内でパンクする。面倒くさかったのでチューブを入れ替えることにした。


↑日本最北端の駅「稚内駅」で記念撮影。駅近くの食堂で昼飯を済ます。また、近くの自転車屋さんに立ち寄って空気を入れてもらう。後の進路はここから苫小牧まで南に進むだけである。

サロベツ原野に浮かぶ利尻山を横目に南に上る。何も考えずに豊富まで進む。


↑サロベツ原野の直線風車と夕日。この旅のお気に入りの写真の一つ。

手塩にて晩メシを食べる。寒い夜空のもと服を着込んで野外に出る。さすが北海道、あたりは真っ暗で月明かりしかない。(月の満ち欠けネタは6・11・28・38日目にもアリ)。今日は深夜行軍する気満々である。
灯りは月の光だけであるが、十五夜の満月はとても素晴らしく明るい。視点は月を見るため上向きである。自転車の光が必要ないくらいである。自分の月影とともに走る。
少し休憩したら寒さが襲ってきた。今日は深夜行軍をする気をなくした。道の駅「富士見」近くのバス停を寝床にする。


全面ガラス張りのバス停は外から丸見え。トラックの運ちゃんの見世物状態だった。

40日目

望郷の思いが強いため、朝早くに出発。
今日一日の留萌までの道のりははっきり言って「つらい」の一日だった。海辺の直線道路と、強い横風、そして上りと下りの連続。最近こればっかり。


↑一日中この風景。どこまでも続く海岸線が憎いぜ。風が強いため、昼の日差しの中でもジャンパーを着る。そうでないと寒いからである(停止すると暑い)。左手には天売島と焼尻島がかすかに見えた。

夕方に留萌着。ここまでの道を通称「萌える天北オロロンルート」って呼ぶらしい。気になる響きだ。
留萌駅で苫小牧から名古屋行きのフェリーの予約の電話を入れる。ようやくゴールへの実感がわいてきた。自転車の旅も終りが近い。海沿いの道は湧別からずっと続いている。もうイヤになったので留萌から内陸に入る。そうすれば海からの風害もマシになるだろうと安楽する。
交差点のコンビニで休んでいると、オバちゃんが話しかけてきた。魚肉ソーセージをいただく。また、近くにある温泉に入ることを勧めてきて、そのためのお金までくれた。感謝します。今日はおかげで温泉に入ることができた。(ちなみに温泉を勧めてきたのは、決してオレが臭かったわけではない……と思う。)
サンフラワーパーク北竜で温泉につかる。露天風呂も付いていた。寒風の中に入る露天ぶろは大好きなので堪能させていただきました。閉店時間まで待合室で昼寝をする。
学校近くのバス停を見つける。ここで寝ることにした。寒さはしのげるのだが、蚊がたくさん出てきた。結局、一晩中「寝耳に蚊」状態だったので快適な睡眠ができなかった。

41日目

海沿いから内陸に移ったのに風は止んでいない。寝不足と朝からの強風で走るのも嫌になるが、それ以上の望郷の思いの強さのため走り出す。
何度か通り雨に打たれる。その度に、コンビニ、バス停、郵便局へと避難する。途中のバス停で横浜から来たチャリダーと遭遇。いっしょに雨宿りする。別々に出発する。
今日の目的地はひとまず札幌。そこに着けばひと段落なので南に向かうも風のためになかなか思うように進まない。先ほどのチャリダーに追いつく。目的地はどちらも札幌なので互いに風よけにしながら走ることにした。一人で走るよりはマシになった。
途中で立ち寄ったところでイベントがあったのだが都合により割愛。
札幌手前でいっしょに昼飯を食べる。ここで彼とはお別れ、一人で札幌を目指す。2時頃に到着。札幌は久しぶりの都会だった。
札幌駅近くにあるラーメン共和国に入る。(福岡で言うラーメンスタジアム。福岡の場合はラーメンがほとんど「とんこつ味」なので数杯食べたら気持ち悪く吐きそうなるが、ラーメン共和国は「味噌・カレー・塩味」などいろいろレパートリーがある)。まだ昼の3時であったが、腹が減っていたので食べ始めることにした。
一杯目は味噌ラーメン。二杯目は和風ラーメンを食べる。二杯目で苦しくなってきた。共和国内の休憩室でしばらく腹を休めて後、三杯目に塩ラーメンを食べる。完食はできたのだが、食べすぎて気持ち悪くなった。吐きそうなので休憩室で本格的に休憩する。


↑外に出たらもう日が沈んでいた。日本縦断の旅もあと少しで終了。街の灯りが美しい。万感の思いで夜の札幌駅を歩いてみた。(写真左下の女性の片足が消えてしまっているのが気になる。)

駅を出てから日本ガッカリ名所として名高い時計台に立ち寄る。そこに感動はなく、ただの建物だった。苫小牧方面に下って行ったら、ちょうどいい所にバス停があったのでそこに突撃。寝袋を広げて寝る。今日が最後の野宿、最近バス停ばかりに泊まっているのが気になったが、他に寝むれそうな場所がなかったのでここにする。

42日目

昨晩は快眠できたのでスッキリしている。今日の目的地は苫小牧まで。残りの行程は50qもない。昼前に苫小牧に行こうと思ったので朝のうちにさっさと走り抜ける。
風は吹いていたが昨日ほどではなかった。特に風景を楽しむこともなく走る。途中のバス停で休憩。そこにいたオバちゃん2人とお喋り。今年の北海道は例年になく暑かったらしい。朝夕の冷え込みはつらかったのに……。
苫小牧駅到着。28日目に一度訪れたなつかしのしょぼい駅である。苫小牧のフェリーターミナルには12時ごろに着いた。フェリーの出港まで6時間以上余っている。ターミナルの待合室で昼寝をして過ごす。
晩メシは苫小牧市街地に一度戻ってから済ます。コンビニに寄ってフェリー内での1日分の飯を購入する。フェリー前で輪行をしてフェリーに搭乗する。


夜の苫小牧港を出港。このフェリーは名古屋港に向かうのだが、今そこには台風が来ている。このフェリーは台風に突っ込む形になるのだが、船の揺れが心配である。小さくなる苫小牧の町の灯りを見ながら、達成感に浸る。今日で日本縦断(+北海道一周)の旅の終わりである。とても長かった。さようなら北海道。


日本縦断(+北海道一周)のレポートはここまでです。分量が多く、文章が拙くて読みづらい面もあったと思いますが、ここまで読んでくれたことに感謝します。